「女性も<特定の領域においては>全面的に権限を握っていたことが明らかになっている。性によって完全に役割や仕事が区分されていたために、主婦は自分の小王国を思うがままに統治できたのである。夫が妻の仕事に口を出そうものなら、妻がとがめなくとも、友人か隣人の誰かが夫をたしなめた。これに対して今日では、女性特有の分野での女性の『権限』はかなり低下している。というのも、女性は、伝統社会では自分の管理下にあった領域をすべて男性とわかち合うようになったからである。友愛結婚においては、夫婦は、およそなにごとにつけ相談し、協同しあうものである。そのため、それぞれに完全にまかされる領域は小さくなってきている」68頁

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「1748年に、プロシアの小都市ハレで小規模に発行されていた週刊誌が、1つの統計的な推定をおこなっている。すなわち、1000組の結婚のうち、幸せなのは10組そこそこであり、残りすべての結婚において、『夫婦はかれらの選んだ結婚を呪い嘆いていた』。…ドイツの小ブルジョワ階層に関するヘルムート・ミューラーの最近の研究…は、18世紀ならびに19世紀初頭の文学的資料や民族史学的な資料の徹底的な調査にもとづいている。ミューラーは、1820年以前のこの階層における結婚に、ロマンスを思わせるようなものはなに一つ見つけられなかった。彼が出会ったのはすべて、妻とも家族とも感情的なつながりをなんらもたない父親であった——かれらは、粗暴で強圧的で、男として外面を保つべく謹厳をよそおい、そして…狂ったように権威主義的となっていた。
 重要なのは小ブルジョワの夫がすべて粗野な人間であり、妻が残忍な仕打ちをうけていたということではなく、むしろそれぞれの果たすべき役割が厳密に定められていたことである。そして、役割遂行がうまくいかない場合、理解や歩み寄りをするだけの愛情がかれらの結婚生活にはなかったのである」63頁

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「農民夫婦が互いにどう呼びあっていたか、あるいはどう呼ばれるのを好んでいたかを知れば、夫婦の心のうちをかいま見ることができるであろう。しかし、この点からみても、フランスの農民家族が友愛結婚の砦であったとはとても思えない。たとえば、サン・ロマン・アン・ガル(ローヌ県)という山村では、『妻は夫を尊敬しているようにみえる。妻は夫を〈旦那様〉、〈御主人様〉、〈御亭主様〉と呼び、間違っても親しげに呼ぶことはない。そして夫が食事をしている間中そのうしろに立っている』。その他の資料にも、農民の間では妻が夫を親しげに呼ぶことは珍しく、婚約中はなれなれしく『あんた』と呼んでいた女性でも、婚礼の日を契機に丁寧に『あなた様』と呼ぶようになる、と書かれている。
 …夫婦の間には、情緒面での深い断絶があったように思われる。よしんば、厳格に定められた社会的役割や性役割の枠組から抜け出ようとする人びとが少なからずいたとしても、それが資料に記録されていない以上、われわれにはわからないのである。
 社会の各層、また多分、都市と農村によって微妙な差異は認められたとしても、夫婦間の冷淡さは、1800年以前の夫婦生活の基本的特徴であり、どこでもそう大きな違いはなかった」61頁

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