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「父系性[ママ]と母系性は、同一の単系原理の2つの様態にすぎず、真の論理という点からは互いに近いものであり…大抵は空間的にも近いのである。伝播のメカニズムの的確な理解にしっかりと依拠していたローウィは、すでに父系と母系の親族システムは、遅い時期に出現したと結論していた。双方的(もしくは未分化の)親族システムは、重要性という点で父方の親族と母方の親族を区別しないのであるから、ローウィー[ママ]によれば、時間的に先行していたということになる」88頁

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「平等、不平等、自由、権威という価値の定義が不在であったために、私は『第三惑星』の中で、東南アジア(母方居住変種)と中央ならびにアンデス山脈アメリカ(父方居住変種)で支配的な、一時的同居と末子相続を伴う家族類型を、『アノミー的家族』と名付けることになってしまった。
…『アノミー的家族』という表現を用いて、私は、昔はより『正常』であった類型の、病的屈折とは言わないまでも、悪質化を示唆したわけだが、これは間違いだった」86-7頁

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「私としては、システムが正規の運行状態にあるとき、最終的につねに夫婦を夫の家族の許に入居させることになるものは、単に父方居住と見なすことにする。当初の母方居住的同居が、10年、15年と続くか、それがやがて最終的形態となるような夫婦の比率が高い場合には、そのシステムを双処居住と分類することにしよう。…
 フレイザーが〈サイクルα〉を把握したのは、最後に生まれた者の特殊な地位を特定したことによってである。末子相続はそれゆえ彼にとっては、家族の財の大部分を1人の子供だけに与えるシステムである直系家族の様態の一つなのではなく、最も若い者が高齢の両親の世話をするという事実を考慮した補償のメカニズムなのである」83頁

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「〈サイクルα〉とは、以下のようなものである。夫婦が子供を作る、子どもたちのうちの1人が成年に達すると、結婚し、配偶者を自分の出身家族に来させることになる。若い夫婦は、最初の子供の誕生ののち、家を出て、自立した世帯を創設する。すると今度は、弟か妹が配偶者を出身家族に連れて来ることになる。こうした兄弟姉妹が次々と同じことをし、最後に生まれた子に至る。この子は、他の者に家を出るよう追い立てられることはないので、両親とともに家に残り、老年期の親の面倒を見る。したがって〈サイクルα〉では、最後に生まれた者が特異な位置を占めることになるわけである。
…〈サイクルα〉は、理の当然として先験的に、共同体家族や直系家族と同様に、父方居住、母方居住、双処居住という変種に下位区分されることになる。このうち双処居住変種というのは、現実にはほとんど存在しない」82-3頁

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「ル・プレイは当初、家族形態と狩猟採集経済を結びつける構造的な見方を抱いていたが、やがて彼は、〔そうした見方を超えて〕己の毛嫌いする核家族というものを、ガリア人から19世紀のシャンパーニュの農民の許に至るまで、探り出していくのであった」73頁

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ル・プレイ「彼ら[ガリア人]の不安定家族と社会組織の総体は、いまなお同じ緯度の北アメリカの広大な森林に住むインディアン狩猟民のそれと、多くの点で類似している。
…若者は、早期の自由が引きつける力に、つねに身を委ねてしまう。というのも、早くから両親の許を去って、自分一人で獲物の追跡に従事するより気楽な生活を自ら作り出すからである。狩猟は、優れて個人的な労働であり、家族内で共同体の慣習を絶え間なく破壊する傾向がある。狩猟民の許では、家族は最も単純な表現に還元されてしまう。すなわち、若い夫婦の結合によって作られ、子供の誕生によって一時的に増大し、次いで子供が早期に成人して独立することによって縮小し、最後は親の死によって破壊され、後には何の痕跡も残さない」72-3頁

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「ル・プレイの著作を見てみると、彼がロシア農民それ自体においても共同体的・父系的発展サイクルが優勢であることを承知していたことが、分かる。彼の弟子の何人かが著したモノグラフは、このような発展サイクルが、中東の大部分に拡大していることを、明らかにしている。
 反動的な人間の特権と言うべきか、ル・プレイは、19世紀後半にほとんどだれもが抱いていた、家族構造は原始時代の稠密性から近代の個人主義へと進化したという観念に染まることはなかったのである。彼はガリア人に『不安定』家族を想定し、人類の過去は核家族的であったとする仮説においても、すでにラスレットやマクファーレンよりさらに徹底的であった。イングランド個人主義の再発見を、ラスレットはルネサンスで、マクファーレンは中世まで遡ったところで止めているが、ル・プレイの方は、ローウィやレヴィ=ストロースを待つまでもなく、確実なデータもない状況で、ガリア人の家族上の個人主義とアメリカ・インディアンのそれとの間の類似を示唆しているのである」72頁

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「ル・プレイは、自由と平等の革命、そして権威と不平等という反対の原理(君主制、貴族、カトリックの原理)と革命との対決を念頭においていたからこそ、自由と権威、平等と不平等という2つの論理的組み合せを見つけ出すことができ、それが彼の始めの2つの家族類型の定義につながったのである。研究者の問題設定は、この場合、イデオロギーの衝突から生まれたわけである」69頁

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「エリック・ル・パンヴァンは、昔の名簿の分析の可能性を極限にまで押し進め、国勢調査を受けた個人関する年齢を用いて、家庭集団の発展サイクルを復元するということを、やっていた。そしてある時、ブルターニュ内陸部のプルーヌヴェ・カンタンという村で、ル・プレイのカテゴリーにどうしても組み込めない家族システムのあることを発見した。それは単一の主要な遺産相続者による相続がきわめて優勢な地域であった。ところが、複数の夫婦を含む世帯が見られ、しかもときとしてそれは、兄弟姉妹とその配偶者という具合に、単一の世代に属する夫婦なのである。…彼は私をいたずらっぽく追いつめて、ある種のブルターニュ類型は直系型にも共同体型にも分類することができないことを納得させた。私は最後には、ル・プレイの神聖なる3類型を脱却する以外に、解決は不可能であることを認めたのである」66頁

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(承前)「早くも1972年には、アメリカ人のルッツ・バークナーが、革新的な方法論による論文の中で、直系家族が3世代世帯の形を取るのは、その発展サイクルの一定の段階においてにすぎず、昔の資料の中に、3世代を含むか、連続する2世代に属する2組の夫婦を包含する世帯の比率がきわめて大きいという事例を探し求めても、なかなか見つかるものではないということを、オーストリアの例から証明している。それにもかかわらず、結婚年齢の専門家、ジョン・ハイナル…は、1983年に、核家族性と単一夫婦性はヨーロッパ西部の特徴であり、共同体家族的形態はヨーロッパ東部の特徴であるとする、単純化された馬鹿げた分類を提唱した。…この二項対立的な世界においては、NATOは、単一夫婦的かつ資本主義的、ワルシャワ条約は、家父長制的かつソ連的という風に姿を現わしていた。ドイツが東西に分裂されていたため、主たる分布地がドイツ語圏を中心とするヨーロッパである直系家族が、それ自体1つの類型をなすということが、考えられなかったのである」65頁

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「〈ル・プレイの聖三位一体〉…
 この3要素[不安定(核)家族、直系家族、家父長(共同体)家族]からなる類型体系は、実際、歴史学者の上に長続きする催眠効果を揮った。最近までそれは、ラスレット革命の圧力に抵抗し続けたのである。…このイングランドの歴史学者〔ラスレット〕は、当初、直系家族の全般的非存在を証明しようと企て、直系家族に戦争を仕掛けたのである。もともと〔ジョン・〕ロックの専門家であった彼は、直系家族という人類学的類型〔家族類型〕とは、17世紀の反動的政治学者、ロバート・フィルマーのファンタスムにすぎないと信じていた。…ところが〔ラスレットの〕核家族の普遍性という仮説にとってまことに遺憾なことながら、研究の進展の結果、直系家族的形態がドイツ語圏、スウェーデン、フランス南西部、カタルーニャから北ポルトガルに至るイベリア半島北部に発見されることになった。共同体家族的形態は、トスカナ、セルビア、ロシアで見つかった」63-5頁→

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「〈婚姻システム、そして構造主義への訣別〉
…構造主義人類学を1つの退行として提示する解釈モデルを持つ本[本書]が、婚姻の問題に取り組まないのは、奇妙な話ということになってしまう…
 われわれとしては、家族の歴史の包括的な分析から出発して、婚姻の問題を全般にわたって扱わなければならないのであって、レヴィ=ストロースのように、統計的にはマージナルな形態〔母方交叉イトコ婚〕の視点から出発して扱ってはならない」53頁

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「地理学的分析と歴史学的分析はどんなに相互補完的か…そしてこの2つが組み合わさると、ときとしてどんなに論理的驚嘆の感情を生み出すことになるか…地図の分析は、周縁的形態を古代的(アルカイック)なシステムの残滓として特定することを可能にする。しかしそれは、ユーラシアの中心地域を歴史の中で掘り下げて行くなら、遠い過去の中に、周縁部ですでに観察した諸形態、人類学者が到来した時点において相変わらず生きていたあれらの諸形態ときわめて近い形態が、見いだされるであろうという意味なのである。歴史の時間の最も深い奥底において、われわれは単に現在に再会することになるのだ」52頁

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「ユーラシアでは、父系原則の出現は農耕の出現より大幅に後になる。文字の発明よりも後なのだから、厳密な慣用的意味で『歴史時代』と呼ぶことのできる時代が始まって以降のことになるのである。…
…論理の土俵に立って言うなら、現段階において断定できることのすべては、これまでに検討されたいくつかの事実は以下のような仮説の総体と両立可能である、ということだけである。
 1 起源的家族は、夫婦を基本的要素とする核家族型のものであった。
 2 この核家族は、国家と労働によって促された社会的分化が出現するまでは、複数の核家族的単位からなる親族の現地バンドに包含されていた。
 3 この親族集団は、女を介する絆と男を介する絆を未分化的なやり方で用いていたという意味で、双方的であった。
 4 女性のステータスは高かったが、女性が集団の中で男性と同じ職務を持つわけではない。
 5 直系家族、共同体家族その他の、複合的な家族構造は、これより後に出現した。その出現の順序は、今後正確に確定する必要があるだろう」51-2頁

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「工業化以前の時代において、父系的家族形態に内在する技術的優越性を喚起することのできる領域が1つある。すなわち戦争。父系原則は、特殊な組織編成力を持っている。住民の軍事化を容易にするのだ。男たちの尊属への帰属関係が排他的である〔唯一父親の子とされる〕ところから、各個人は社会構造の中で1つの位置を、それも唯一の位置を与えられる。各個人が同時にもしくは交互に、父方親族と母方親族に帰属する未分化システムの特徴たる複数帰属が持つゆとりは失われてしまう。未分化性ないし双方性の世界は、その本性からして曖昧で、可動的で、柔軟である。父系原則によって構造化された集団は、下位区分と階層序列が予め確立しており、あたかも戦争用に組織された恒常的軍隊のようなものである。父系の氏族(クラン)の血統図は、軍隊か官僚組織の組織図に似ている。また男性性と身体的力強さとの繋がりも忘れてはならない。父系原則は、攻撃、略奪、征服による拡大の内在的な潜在力を秘めているのである。…要するに父系性[ママ]の拡大の理由は、しばしば軍事的領域での優越性で説明がつくのである」49-50頁

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(承前)「現実には、父系・共同体革新は、それが押し付けられたところで、最後には発展過程を毀損するに至った。なぜなら、その最終局面においては、女性のステータスの低下に至り、そのことは当該住民の教育潜在力を減少させたからである。それでもそれが出現したとき、この家族形態は、技術文化の領域で革新的な民族によってもたらされ、当時の近代性の象徴として、威信溢れるものでありえたのである。これこそ、ガブリエル・ド・タルドが論理外的模倣と呼んだものの領域である」49頁

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「『文明』の4つの基本要素(農耕、都市、冶金、文字)は、それぞれそれ自体に本質的に内在する拡大の潜在力を秘めていることは認めなければならない。これらの要素が、地球の大部分に広がったのは、ガブリエル・ド・タルドが『模倣の法則』の中で用いた意味で、つまり合理的な意味で、『理の当然』なのである。歴史の現実においては、農耕によって人口密度が増大し、都市と文字によって組織立てられ、技術的・軍事的に強力になった民族は、周辺の人間集団に影響力を揮い、取って替わることができた。その上、淘汰が起こらなかったところでは、これらの民族は、自分たちの成功の元となったもの(農耕、都市、冶金、ないし文字)ばかりでなく、どれもがより多くの効率性に結び付くと先験的に想定してはならないような他の革新も、被支配者たちに伝えることがあり得たのである。支配者がもたらした社会形態であるという威信だけで、それらの要素が受入れられてしまったことは説明できる。家族に関わる変動のケースは、しばしばそうしたものだった。その中には、社会に活力を与えるにほど遠く、逆に対抗的な歴史的シークエンスを始動させてしまったものもある」49頁→

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「核家族はまた、17世紀イングランドの人類学的構造の全体をなしていたわけではない。それが最も核家族的であったところ、例えば中部諸州において、それは村落共同体に組み込まれており、とりわけ大規模農業経営によって支えられていた。言わば、青春期からの親と子供の分離のお膳立てをしたのは、この大規模経営なのである。人類学的であると同時に経済的なこのシステムなしでは、イングランドの絶対核家族は全く存在しなかった」46頁

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「親族集団が国家によって取って替わられたという、古典的な、しかし今でも完全に有効性を持つ社会・歴史的テーマ…これはしばしば、個人というものの出現と解釈された。しかしそれは誤りである。過去の稠密な大家族の神話を一たび葬り去った以上、われわれは、未開人より以上に、未開人より優れたあり方で個人である、などと主張することはできなくなってしまったのだ」46頁

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「家族の核家族性、女性のステータスが高いこと、絆の柔軟性、個人と集団の移動性。ここにおいて起源的として提示される人類学的類型〔家族類型〕は、大して異国的(エキゾチック)なものとは見えない。最も深い過去の奥底を探ったらわれわれ西洋の現在に再会する、というのが、本書の中心的逆説なのである。逆に、かつてはヨーロッパの人類学から古代的(アルカイック)なものと見なされていた形態〔不可分の大家族、直系家族〕の方が、歴史の中で構築されたものとして立ち現れることになるだろうし、いかなる場合にも、原初性の残滓として立ち現れることはないだろう。一夫多妻制や一妻多夫制も、起源において支配的であった一夫一婦制からずっと後の発明物として現れることになろう」45頁

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