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「不完全直系家族——境界の現象
 不完全直系家族とは、世帯構造が権威主義的特徴を示すことと相続規則が正式には平等主義的であることとが共存しているということである。しかもこの2つの側面の組み合わせが共同体家族に典型的な家庭集団の発展サイクルを生み出すことがない。共同体家族の標識である2人の兄弟の同居は、とりわけ姿を見せない。このような状況では、平等主義的規則が実際の慣習行動によって否定されているのだとする仮説を立てる必要があるだろう」71頁

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「都市的環境にあっては、居住空間に融通が効かないことや、賃金制度のメカニズムからして、同居現象にはいかなる正当性も見出せなくなる。しかし3世代の複合世帯が都市において姿を消すからと言って、権威や相互依存という価値が消え去ってしまうわけでは毛頭ない。こうした価値は、金の貸し借りや手を貸し合うこと、住居は別々でも近くに住むこと、孫のお守りと教育を祖父母が受け持つこと、といった他の物質的結果となって現われる。これらの結果は目につきにくいが、現実性において劣るものではない。
…都市的環境にあっては伝統的家族形態が消え失せたという想定がなされるわけではない。都市的環境において姿を消すのは、<家庭集団の発展サイクル>である。これは家族制度の目に見える具象化であって、<非物質的だが不動の諸価値の総体である家族制度>とこれを混同してはならない」47頁

反証可能性がない議論のような悪寒も駿河…

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「直系家族の制度においては、<世帯の構造>があらゆる場合に3つの世代を含むというわけではない。この複合的家族形態は、結婚した跡取り息子が父親となり、その両親のうち少なくとも1人が存命であるという、発展サイクルの中の1段階に姿を現わすにすぎない。両親が死ねば、3世代を含む縦の構造は姿を消し、世帯は核家族的形態を取り戻す。そして、次の世代の跡取りが子供を持つようになると、この形態は再び失われる、という風に続いて行くのである。アンシアン・レジーム下の典型的な死亡率と出生率を条件としてコンピューターによるシミュレーションを行なったところ、3世代世帯の割合は任意のある時点において3分の1を超えることはない、との結果が出ている」44頁

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「家族制度と土地制度はともに安定性がきわめて高いという点が共通している。この両者が組み合わさって、ヨーロッパの基本的な地理的様相を決定しているのである。各々の地方は、ある家族制度とある農地制度との配合によって性格づけられる。工業化が始まるまでは、多くの地方のたどった運命は、この1組の要因によって説明できた。農村から都市への人口の移動によって、説明変数としての農地制度の重要性は大幅に減少した。これに対して、家族的価値の方は、都市への移住のあとまで永く生き延びている」39頁

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「20世紀になると、民族主義と社会主義がすべての国、すべての州に浸透したかに見える。民族主義はもちろん、国家を互いに対抗させる。しかし社会主義は国際主義を標榜し、伝統的に細分化され続けてきた大陸を統一することを束の間夢見るのである。ところがそうなると今度は社会主義そのものが、互いに相容れない4つの構成要素に分解してしまう。社会主義の4つの亜種、すなわち社会民主主義、共産主義、無政府主義、労働党社会主義がたちまち分化し、ヨーロッパを分割してそれぞれの勢力圏とする」28-9頁

「州」はÉtatかなあ…だとしたら、この場合むしろ「国家」で、その前の「国」(たぶんnation=「国民」)と対比させてんじゃないだろうか

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「学者の歴史は…社会民主主義を何よりも20世紀の代表的現象として位置づける。しかし、それが支配的勢力となるのは、スウェーデン、ノルウェー、北ドイツ、スコットランド、ウェールズであって、他のところではそれほどでもないということを明らかにするのが肝心なのだ」25頁

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「ポスト産業社会への転換は、フランスやイギリスのように個人主義的土台(核家族)を持つ社会と、ドイツやスイスのように反個人主義的土台(直系家族)を持つ社会とでは異なったリズムで進行する」22頁

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「外見とは逆に、人類学的仮説は、人間の自由の新たな考え方へとつながるものだと思う。フロイトと精神分析にとって、個人の無意識の決定要因を知るということは、理性の力の及ばないメカニズムへの隷属へと行き着くべきものではなく、却って高次の自由へと行き着くべきものであった。いかなるものに突き動かされているのかを知ることによって、人は初めて自由になれるのである。人類学的仮説の論理的な立場もこれと同様である。なぜならそれもまた無意識の観念に依拠するからである」3頁

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「論理的に言えば、イデオロギーは社会・経済的階層構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルと、イデオロギーは家族構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルとの間には、たしかに違いはない。<マルクス主義的モデルと人類学的モデルの真の違いは、前者は観察された事実を説明できないのに対して、後者はそれを説明するという点なのである>。共産主義型の革命は、大量の労働者階級を抱えた進んだ工業国には起こらず、伝統的農民文化が共同体型であった国に起こった」2頁

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Todd, Emmanuel. (1990=1992, 1993) L’invention de l’Europe, Seuil. 石崎晴己訳『新ヨーロッパ大全』I・II 藤原書店

「国家による自立的な作用は存在しないわけではないが、多くの場合、幻想である。大幅に始まっていた文化的なテイクオフの文脈のなかで国家による作用が行なわれたとき——1917年から1969年にかけてのロシアのケースがそうである——、それは抗しがたいものとして目に映るが、じつはそれは市民社会の固有の活性力を捉え、ある特定の方向へ導くことに甘んじただけなのである。反対に、文化的な停滞の状況下では、国家による作用は不明瞭で様々な形の失敗に終わり、中央政府によって行なわれた投資的な努力は溶解され消滅していくのである。そこでは市民社会は反応せず、先進世界から輸入された機械に手を付けようとも、導入しようともしない。1960ー1980年の第三世界の典型的な光景である」502頁

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(承前)「しかしここで問題となる個人とは、経済分析で扱われる個人のことではない。合理性によって定義されるのではなく、人間間の関係をつかさどる地方システム、地域システムによって定義されるものであり、その中核には家族組織がある。
 各家族システムは、本質的にふたつの変数からなる一定の文化的潜在力を生み出す。親の権威の力と女性の地位の2つがそれである。事実を検証すれば、権威主義的で女性の地位が比較的高い家族システムが、識字率の地図の上で内発的な成長の中心としての姿を現わしていることが分かる。…
 成長への適性が強、中、弱とある家族システムの人口を分析してみると、それに伴なう文化的な活性力の3つの水準が地球上で同等に分布しているわけではまったくないことが分かる。…この大陸[ヨーロッパ]の早いテイクオフは一般的な優越性からきたのではなく、人類学的な構成要素の有利な配分によるのである。…
…遅くとも16世紀以降、世界の成長の原動力であった双系制で縦型の家族システムは、人口規模では、世界人口の8%に過ぎないのである」498-500頁

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「成長の人類学的な分析は、ふたつの現象を明らかにする。ひとつは論理的に最初に現われる現象であり、もう一方は次に現われる現象である。
 最初に現われる現象とは、ある種の家族類型の存在と内発的な文化的発展のプロセスの間に構造的な一致が存在することである。
 次いでの現象は、内発的なテイクオフが起こった中心から文化的な発展が伝播する運動のことである。この伝播はそこにある人類学的な素地が文化的な成長を受け入れやすいものであるところでは、より迅速に展開する。
 構造的な一致と伝播という運動の両者は、ともに人類学的な領域に属する現象である。両方ともが、その解釈のよりどころとして基本的な人間関係の重要性、個と個、親と子、隣人と隣人との繋がりの重要性を前提としている。このモデルによって、一般的に個人を超越し、人間を越えた抽象的で集団的な社会的主体を想定した伝統的な社会科学の一連の重い概念装置から実際上逃れることができる。…人類学的なモデルは、脱人称化と擬人化を同時に施されたこれらの主体の存在や意志を引き合いに出すことなく成長を説明することができるのである。とりわけ無用なのは、文化と同様に経済の成長において重要な動作主として一般的に考えられている国家という概念である」498頁→

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「情報交換が容易となり成長のサイクルに入った世界では、<権威主義家族>→<識字化>→<死亡率の低下、次いで出生率の低下が起こり、ついには生活水準の上昇>へと至る一連の展開を経験する。だがそれにはかなりの時間を要する。このプロセス全体に当たるプロテスタントの宗教改革から20世紀の中葉までは少なくとも400年が経過している」490頁

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「1980年頃のアジアの出生率分布地図は、おそらく人類の歴史のもっとも古い民族学的な断絶のひとつを再現している。インド・アーリア、もしくはイスラムである中東の文化とドラヴィダのインドからインドネシアにわたって広がる纏まりとを対立させるものである。つまり麦の世界と稲の世界を対立させるものである」480頁

ここでは通説とは逆に、「麦の世界」の方が出生率が高い

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「この本で紹介する人類学的なモデルは…出産の諸指標の推移について人類学的な構造がもつ二重の作用を描き出すものである。第1の作用は、家族構造と識字化との関係、さらには識字化と出生率の低下との関係をつかさどる作用であるが、これは間接的であると同時に支配的な作用なのである。第2の作用は、家族システムと出生率を媒介なしに結ぶものであるが、これは直接的ではあるが二義的な作用である。
 家族構造は、識字化を促進させたり、遅らせたりする。しかし、より直接的に人口動態的な変容にさまざまなかたちで影響を及ぼすのである。それも互いに自立的ではあるが、しばしば相矛盾するかたちで作用するのである」476-7頁

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「ひとつだけは確かである。ヨーロッパに誕生した大思想システムのイデオロギーとしての拡大は、ほとんど終了したということだ。自由主義、共産主義、古典的な社会民主主義は、それらに相応しい人類学的な地域をほとんど埋め尽くした。つまり特定の家族類型によって規定され、若い男性の識字率が70%を越えたいくつかの地域をである。本当のところを言うならば、1960ー1983年の間の大衆の暴力現象の大部分は——ベトナム戦争の終結を除けば——、すでに人類学的な基底がヨーロッパとは異質な諸地域に関係したものであった。つまりはイデオロギー的に求めるものが異質な地域であった」466頁

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「家族構造とイデオロギー・システムとの間の空間的な一致は、家族構造と文化的な発展水準との間の一致よりもより明確に確認できる。イデオロギー的な価値は、伝播を拒む閉じた集合を定義する。人間の普遍的な潜在能力である識字化は、反対に家族システムを越えて伝播する領域を生み出す。しかし、この2つの決定作用を家族構造によって組み合わせることで理論的な一般モデルを作成することができ、人類学システムがイデオロギーの発達に及ぼす二重の作用を浮上させることができる」462頁

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「無意識な価値体系の意識的な形式化である諸イデオロギーに共通するのは、つまりところ伝播の様式だけである。…私は『第三惑星』で、近代化の文脈のなかでは、ある特定の国における特殊なイデオロギーの強力な出現が、対象となる地域の支配的な家族構造との間に密接な呼応関係をもつことを明らかにした。イデオロギーは、家族生活を構造づけている価値体系にそって無意識的に構築されていて、それらの価値体系の文節化された表現を提供しているに過ぎない。家族構造の3つの要素が、イデオロギーの内容についてのこの人類学的な分析で浮上してくる。両親と子供たちの関係、兄弟間の関係、そして近親相姦の禁止の強度の3つである」459頁

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