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「彼[レイモンド・ペイリー]は数学を一種のゲームとして自由自在に操つるすばらしいうでと、ほとんどどんな問題でも攻撃することのできる一大装備にまで積み上げられた実に多くのあの手この手を私にもたらしたが、数学を他の諸科学の中に正しく位置づけるという感覚はほとんど全くもたなかった。われわれが着手した多くの問題のなかに、これは私のくせなのだが、私は物理学的応用ばかりか工学的応用すら見出した。そして私のこのような感覚は、私が作る像と問題を解くために使う道具とをしばしば決定した。私が彼のやり方を学びたがっていたのと同様、ペイリーは私のやり方をしきりに学びたがっていた。しかし私の応用的観点がかれには容易にピンとこなかったし、彼がそれを十分スポーツマンにふさわしいものとみなしたとも思われない。私は数学というスポーツ(狩り)で、もし獲物を猟犬を使って追いつめることができないなら鉄砲で射ってしまうことによって、彼や私の他のイギリスの友達をビックリさせたに違いなのだ[ママ]。…
 ペイリーと私のちがいは、偉大でありながらも伝統的なイギリスの古典学者と私の父とのちがいと本質的には同じであった。…私はイギリスの学者気質を尊敬し理解はするが、私の本質は大陸的である」111頁

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「私たちがとても元気になって旅から帰ってきたとき、マーガレット[妻]は私をホールデーンの家へ連れて行った。私は彼らとブリッジ遊びをしたことを思い出す——家族対家族、男性対女性、あるいはユダヤ人対キリスト教徒という組合せで。われわれはまた非常によくしゃべり合う機会を得た。そして私はJ. B. S. ホールデーンほど会話に長じた人やいろいろな知識をもった人に会ったことはない。
…われわれはホールデーン一家にはしょっちゅう会いに行き、そして私は彼の家の芝生のそばを流れるカム川の支流へ彼と泳ぎに行くのが常だった。ホールデーンはパイプをくわえたまま泳いだものだ。彼にならって私は葉巻を吸い、いつもの習慣通り眼鏡をかけたまま泳いだ。川にボートを浮べている人たちから見ればわれわれは水の中を浮いたり沈んだりしている大きな水棲動物、いってみれば長いセイウチと短いセイウチのように見えたに違いない」106-7頁

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「ある日私は『ザ・ストランド』の中で『黄金づくり』とよばれる第一級のスリラー小説を読んだ。それは非常にもっともな科学と経済学を含めた科学小説であり、陰謀、追跡、逃亡などのはいったすぐれた筋をもっていた。ケンブリッジのトリニティ・カレッジのJ. B. S. ホールデーン教授が書いたものだった。その表紙に背の高い、体格のたくましいおでこの男の写真がのっていたが、その男は私が[ケンブリッジの]哲学図書館でしばしば見ていた男だった。
 私が図書館で次にホールデーンにあったとき、私は思いきって彼に話しかけ、自分を紹介し、彼の小説が立派であると述べた。しかし彼の小説にはほんのちょっとした欠点があったのでそれを指摘した。彼はアイスランド人と思われる人物にデンマーク人の名前をつかっていたのだった。
 ホールデーンは私のこのぶしつけな示唆を喜んでくれ、数週間後にオールド・チェスタートンの美しい自宅にわれわれを招いてくれた」105頁

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「ボーア兄弟にはしばしば会った。たしかニールス氏の部屋だったと思うが、この兄弟の一方の部屋に2人の子供時代の肖像があったのを憶えている。その顔にはどこか農民に似た面影があった。この農民の面影は成長するにつれて消えてしまったものらしい。その時のお客の一人にコペンハーゲン大学の古典文学の教授でたえず大きな黒い葉巻をふかしている婦人がいて、この兄弟の子供時代には、こんな出来の良くない2人の子供を持ったお母さんに友人が同情したものだという話を聞かせてくれた。ニールス・ボーア氏が科学上の業績によってデンマークの国民的英雄となり、コペンハーゲンの大醸造会社から寄付された宮殿のような家に住んでいることや、ハラルド・ボーア氏がデンマークの生んだ最大の数学者であったことを思うと、これは今でははなはだこっけいな話としか思えない」78頁

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「今日の物理学の課題は、もうその本質がよくわかっている既存の理論をますます精巧に仕上げてゆくことにはないということである。今日の物理学は、まだ誰一人として真にすっきりと首尾一貫したものにすることができない多くの部分的な理論の集りである。現代の物理学者は、月水金は量子論を説き、火木土は万有引力の相対論を学ぶとは、うまく云ったものである。日曜日には、物理学者はそのどちらでもなくなり、神に向かって、誰かが——かなうことなら自分自身が——この2つの立場を和解せるように、と祈っているのである」😅 69頁

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「前成説は、物質の無限可分性に賛成するものであり、これから出てくる哲学的帰結は、特に大哲学者ライプニツによって熱心に研究された。
 ライプニツは…水の滴や同じく生命のみちあふれた血の滴から類推して世界を充実空間——真空は存在しない——と考えていた。すなわち彼は生物の間や生物の内部にある空間すべてが、より小さい大きさの生物で充されていると考えた。この考えから、更にライプニツは生命の無限不可分性、従って物質の連続性を仮定したのである。
 ライプニツは、いうまでもなく彼の時代の微視的観察と彼自身の哲学の内的な働らきとの両方によって生みだされたこの見解に導かれて、数学の新しい解釈に到達した。われわれが忘れてはならないことは、彼が微積分法の発明者の一人であり、今なおわれわれが使っている記号は彼が創めたものであるということである。彼によれば、時間と空間が無限に分割可能であるみのならず、時間と空間に分布している量は、時間と空間のあらゆる次元にわたって変化率を持っている。…ライプニツは、物理的世界の連続性を主張することによって、原子論に正面から反対する見解の代弁者となった」62-4頁

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「苦痛が数学的緊張となって現われたのか、数学的緊張が苦痛によって象徴されたのか、どちらとも言い切ることはできない。なぜなら両者は不可分の一体をなしていたからである。しかしながら後になってこのことを考えてみると、殆ど如何なる経験でも、まだばく然として脈絡のついていない未解決な数学的事態の仮の象徴の役割りを演じうることが分ってきた。私は、私を数学に駆りたてる主要な動機は、未解決な数学的不調和が与える不満や苦痛であることをこれまで以上にはっきりと知った。このような不調和感を解きほぐして半持続的な認識できる脈絡に還元してしまわないと、苦痛を脱して他の問題に移ってゆくことができないことを、私は益々意識するようになった。
 実際、有能な数学者を特色付ける他の何よりもまして適切な特徴があるとすれば、それは束の間の情緒的象徴を操ってこれから半持続的で思い出すことのできる言語を構成する能力であると思う。もしこうすることができなければ、彼の着想は、形式を与えられないままの形で保存するという極度の困難に耐えられずに蒸発してしまうであろう」53頁

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「交流の歴史の初期において、交流の発明を握っていたウェスチングハウス系の人々と、既に直流工学に多大の資金を投じていたゼネラル・エレクトリック系及びエディソン系の人々との間に王位争奪戦が行われた。この論争の一つの落し子としてニューヨーク州では交流を用いて犯罪者の死刑執行をすることとなった。これは、人々に交流の方がより危険だという誤った観念を抱かせて家庭で交流を使うのを厭がらせるため、立法者を通じて行われた取引の結果なのである。しかしながら間もなく電気工学における両派の争いはしずまった。というのはゼネラル・エレクトリックの方でもウェスチングハウス社と同様、交流が使えるようになったからである」45頁

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「数学は概して青年の仕事である。それは若さと体力がある時にのみ完全に満しうる資格を要求する知的競技である。若い数学者のうちには才能のひらめきを示しながら1、2の有望な論文を発表した後、昨日のスポーツの英雄を取巻く忘却の淵と全く同じ境涯へおち込んでしまうものが多い。
 だが彗星の如く現われ活動の芽をふき出した途端、倦怠の生涯におち込んでしまうのを見るのは耐えられぬことである。数学者が線香花火のようでない一生を送るためには、彼は、最高の創造的能力に恵まれた短い春の季節を、生涯を投じても消化し切れない位の豊富さと魅力を備えた新しい分野と新しい問題の発見に献げるべきである。若い私を刺戟し、それを創始するため相当な努力を献げた問題が、60台になった今なお、私に最大の要求を加えて来る力を失っていないように思われるのは、私にとって幸いである」23頁

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「数学の物理的な局面に対する私の絶えず高まっていた興味がはっきりした形を取りはじめたのもM.I.Tにおいてだった。校舎はチャールズ河を見下し、いつに変らぬ美しいスカイラインが眺められる。河水の面はいつ眺めても楽しかった。数学者兼物理学者としての私には、それはまた別の意味を持っていた。絶えず移動するさざ波のかたまりを研究して、これを数学的に整理することはできないものだろうか。そもそも数学の最高の使命は無秩序の中に秩序を発見することではないのか。…こうして私は、自分が求めている数学の道具は自然を記述するのに適した道具であることを悟り、私は自然そのものの中で自己の数学研究の言葉と問題を探さねばならないのだということを知るようになった」16頁

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Wiener, Norbert. (1956) I Am a Mathematician, Doubleday & Company.
=1956 鎭目恭夫訳『サイバネティックスはいかにして生まれたか』みすず書房

「生きているということの本性を一言にして摑もうとするなら、古くゲーテの好んだ句がそれであろう。かの含蓄の深い詩の中には《変化のなかの永続》とうたわれている」218頁

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「一般システム理論と私たちがよぶ<新しい科学分野>…これは論理=数学的な分野であって、その課題とするところは、システム一般にあてはまる原理を定式化し導きだすにある。《システム》は相互に作用しあう要素の複合体と定義できる。システムの構成要素がなんであれ、また要素間になりたつ関係あるいは力がどんな種類のものであれ、どのシステムにも同様にあてはまる一般原理がある。…いろいろな領域の法則性は形式的に一致する。すなわち《論理的相同性》を示す。
…一般的なシステムの特性から生ずるのは論理的相同性である。この理由によって、異なった現象領域においても形式上の一致がみられ、その結果いろいろな科学の間に平行的な発展がおこる。
…一般システム理論は、ライプニッツが夢みたあの普遍学(mathesis universalis)——広大でいろいろな科学を包括するところの意味論的システム——への一歩と考えることができる。…動的な把握における《システム》理論が、現代科学に対して果たす役割は、古代科学の中でアリストテレスの理論が演じたのとおなじである」213-5頁

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「機械仕掛けのない機械という不条理な観念に対して、ドリーシュは、単に形而上学的な技師を考えることでこれを置き換えるという、適切を欠く定式化をやった。このために世紀の変りめ頃に生体概念の最初の出現がどんな挫折をうけたか…
 ドイツのドリーシュとおなじように、イギリスの生理学者J. B. S. ホールデンも生命の機械論を拒否した。彼は協調的な自己維持の中に生命の本質をみいだし、この自己維持を物理=化学的概念によって記述することは原理的に不可能と考えた。ドイツの《ゲシュタルト》概念とおなじように、イギリスでも《有機体》の概念が無生物界にまでひろがった。…
 数学者ホワイトヘッドの《有機的機械論》は、分子の盲目的な動きという仮定をも生気論をも越えたのである。真の実在はすべて《有機体》であって、その中では下位のシステムの特質が全体の骨ぐみによって影響をうける。この原理はまったく普遍的であって、生きものに特別というわけではない。…科学は、純粋に物理学的でもなければ純粋に生物学的でもないような、新しい局面に触れあうようになる。すなわち、科学はいまや有機体の研究の段階に達する。生物学は大きい有機体(生物体)の段階であり、物理学は小さいほうの段階といえよう」211頁

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「哲学の発展は心理学や生物学の発展に先行した。たとえば、ニコライ・ハルトマンはすでに1912年にシステムの考えの必要性を説いた。因果関係について、各因果連鎖が単に並行して走っていると考えるのは適当でない。本質的なものは相互作用である。一個のシステムの中で、各力は均衡を保ちあい、したがって各力の共存状態は比較的不変で攪乱に対して抵抗するような総体構造をとるようになる。この場合、有限な各システムはさらに高次なシステムの項であり、また一方もっと小さな諸システムをその中にふくんでいる。この相互封入は受動的な閉じ込めではなく、一個の交互依存的な関係である。低次のシステムにおける一定の作用は、同時に<より>高次なシステムの統合作用の中で働きをもち、逆にまた高次なシステムの一定の作用はただちに<より>低次なシステムをもあわせ規定する。生物はシステムのうちでもいちばんこみいった秩序システムをもっている。生物には相互作用が不可欠であって、それによって部分過程を全体へと統合し、システムの協同作用法則を通じてこれを支配する」209頁

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「動的哲学の始祖はヘラクレイトスである。今日、物理学や生物学の認識がもつ透徹した平明さのもとで私たちが追求している世界像を、最初に意味深く神秘めかして表現したのが彼だ。それが彼の《万物は流れる》であり、《対立物の統一》だ。…クザヌスは一方でドイツの神秘家たちの一大系列の最後の人であり、他方近代科学の道をひらいた。…太古のヘラクレイトスの主題は対立物の統一という教義の中にふたたびとりこまれ、新時代へとうけわたされた。…
 ゲーテは作家だっただけでなく、有数の自然学者であって、生物の形に関する学問である形態学の基礎をきずいた。…ゲーテの理念的形態の背後にはヘラクレイトス流の動力学がかくれている。ゲーテのいう<死滅と生成>、<交代の中の永続>という言葉のうちに、この動力学は表現されている」207-8頁

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「生体中の過程が生体自身の必要にしたがって秩序づけられ、一つの全体となって流れるという事実の中に、生命現象のもっとも注目すべき特徴が現われている。個々の反応をすべて物理=化学的に知ってみても、この問題が解決したことにはならない。機械論者はこの秩序が機械様の構造によって保証されるのだ[ママ]信じたけれども、これでは調節現象を説明するわけにはいかない。生気論者は超自然力をもちだすが、ドリーシュのウニの例のように部分は全体にしたがうからといって、それはなにも生気論的なことではなく、むしろゲシュタルト一般の特性である。…機械論は、現象の秩序づけのもとを既製の仕組みの中に尋ね、生気論のほうは、説明にあたって超自然力をわずらわす。だがそのほかに、第3の可能性が残っている。つまり統一的なシステム間の内部で動的秩序が保たれているということだ。だから物理学も生物学も心理学もおしなべて、内在する動的性格から秩序をつくりだすようなシステムを問題にするのである」204-5頁

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「心理学の発展はことに意義が深い。なぜならこの分野の中で、全体性がはじめて科学的な見方としてうち建てられたからだ」201頁

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「私たちの理論を演繹して得られる哲学的にだいじな結果としては…等結果性の問題が解決されたことや、形而上学的・生気論的と考えられていた目的指向性の概念に物理学的な基礎が与えられたことが数えられる。
 有機体論のもっとも広範囲な発展は、一般<システム理論>…を作りだした点であるが、精密で数学的な実体論(存在論)の基礎となり、またそれぞれ性格の異なった諸科学においても普遍的な概念は論理的に相同であるとする主張に、基礎を与えたものがこの理論だ」201頁

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「ドッターヴァイヒ(1940)は《生物学的平衡》について統一的な研究を行なったが、彼はもちろんこの概念を非常に広範に考えたので、当然区別されるべき現象も一緒に包括してしまい、したがってこの考えかたはしばしば形式的なものにとどまってしまった。彼はそれまでの《生物学的平衡》を3つに区別している。(1) 形態学上の《器官の平衡》(ジョフロワ・サンチレール、ゲーテ)。(2) 生物群衆的平衡(エッシェリッヒ、フリーデリクス、ヴォルテレック等、その他)。(3) 生体を生理学的に、動的平衡あるいは定常状態にあるものとしてみること(フォン・べルタランフィ)。…形態形成における競争・調節・優性・決定の定量的理論は、一般化された開放系動力学(だいたい私たちの《システム理論》の意味での)と勾配原理とにもとづいている。この原理を発展させたのはスピージェルマンであった(1945)。
 <動的形態学>(フォン・ベルタランフィ、1941)は生体を開放系としてとりあつかうことにはじまる。すなわち生物の形態を、現象の流れが法則により秩序づけられたものとみる。このような見地にたてば、形態学的研究法と生理学的研究法とが統合されるようになり、また<代謝>・<生長>および<形態形成>の法則を正確につかむことができる」197頁

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