Shorter, Edward. (1975→1977) The Making of the Modern Family, Basic Books.
=1987 田中俊宏・岩橋誠一・見崎恵子・作道 潤訳『近代家族の形成』昭和堂

「1900年以前の幼児死亡の原因について研究をすすめていけばいくほど、多くの幼児が天然痘やしょうこう熱で死んだだけでなく、不適当な食事やとてもひどい世話のやり方のためにも死んだことがわかってきた。すなわち、(母乳ではなく)小麦粉と水のまぜたものを与えたり、(経験豊富な産婆が注意深く分娩させるのではなく)野蛮きわまりない方法で分娩したり、(あたたかい産衣につつんで、幼児をやさしくあやすのではなく)幼児を包帯でかたく巻きつけたまま、何時間もほうっておいたり等々。われわれが扱っている社会は、妊婦が陣痛のはじまる直前まで野良仕事をし、母乳をやるのはほんのときどきで、早く離乳をさせ、そして幼児の命にはほとんど価値がおかれていない社会なのである」ix.

「『悲惨』派の解釈に対する主要な批判点は、子どもを明らかに冷淡に扱ったかなりの人びとは悲惨な状態にはなかったことである。…マーチャント・バンカーのすぐ下の階級の人びとはすべて貧困にうちひしがれていたとするのは、ばかげたほど単純化された階級観である。とりわわけ、肉屋やパン屋そして〈自作農〉は、派手な結婚式や持参金、在郷軍の制服をまかなうくらいの金はためこんでいた。しかし、これらの村の中産階級の人びとは労働者同様、生きている子どもに母乳を与えようとしなかったし、子どもが死んでも悲しむことはなかったのである」ix-x.

「事実というものはたいてい、ビスマルクでも、ルーズベルトでも、アレキサンダー大王でも、『内』にこそあるのだ。われわれは、かれらの物語の概略やなぜ戦争を宣戦布告したかについてはかなり正確に知っている。しかしわれわれは愛情生活という壮大な、空白の物語の前葉についてはほとんど知らないのである」xii.

「わたしの考えでは、伝統的家族が近代家族へと変化したのは次の3つの分野での感情の高まりのせいであった。
 <男女関係> ロマンティック・ラヴが、かつて男女を結びつけていた実利的な考えにとってかわる。結婚の相手を選ぶにあたって、個人の幸福や自己陶冶が財産やリネージに優先するようになるのである。
 <母子関係> 母親と子どもの間には説明のつかない愛情——生物学上の絆の産物——があるとしても、母親の理性的な価値順位において幼児が占める順位に変化があった。伝統社会においては、母親は幼児の幸福よりもます、すさまじい生存競争にかかわって多くのことを考えなければならなかった。他方、近代社会では、子どもはもっとも重要なものとなり、母性愛によって子どもの幸福が何ごとにもまして大切に考えられるようになったのである」5頁→

(承前)「<家族と周囲の共同体との間の境界線> 古き悪しき時代には、家族をつつむ殻にはたくさんの穴があいており、外部から人びとが自由に出入りして家族内の事柄を観察し、監視した。その穴を通して家族の者が逆に外部に出ていくこともあった。というのも、人びとは、家族よりもむしろ、さまざまな仲間集団に対して情緒的に相通じるものを感じたからである。いいかえると、伝統社会の家族は情緒的に結びついた単位というよりも、まず生産および再生産の単位であった。それは財産や地位を代々子孫に伝える機構であった。リネージこそが重要であり、家族が食事をともにすることは重要なことではなかった」5頁→

(承前)「その後、これらの優先順位が逆転する。外界に対する絆は弱められ、家族を互いに結びつける絆が強められる。そして外部からの侵入に対して家族の団欒を守るために、プライヴァシーという盾がもうけられる。この家族愛のシェルターの中で、近代核家族が誕生するのである。このようにして、さまざまな家族関係において感情が重要な役割を果たしはじめる。情愛と愛慕、愛と一体感が、旧来の物質的、『実利的』な考えにかわって、家族の行為の規範となった。夫と妻や子どもは、自分が果たすべき役割や、自分のなしうる行為によってではなく、むしろあるがままの姿で評価されるようになったのである。それが『感情』の本質である」4-5頁→

(承前)「この感情の高揚が家族と周囲の共同体との関係における変化の原因なのか、あるいは結果なのかは重要な問題の1つであるが、本書では答えられていない。『近代化』の強烈な衝撃によって、伝統的家族の安住の地であった共同体の構造が破壊されたのか、あるいは広範囲におよぶ社会変化が、まず家族員のそれぞれの心性に影響をおよぼし、その結果家族が互いに手をとりあい、部外者の出入りを家族の団欒をみだす迷惑なものとして制限するようになったのか。仲間集団の信義を放棄したのが先なのか、あるいはまず家族の情緒的な結びつきを重んじるようになったのが先か。こうした問題は、にわとりが先かたまごが先かという問題と同じく、答えることは困難である」6頁

「わたしの議論はヨーロッパ全体を対象としている。いかなる辺境の村でも、家族は遅かれ早かれ感情で結ばれた家族への長い道のりをたどることになる。近代化がもたらす夫婦生活の変化は本質的にどこでもかわらないからである。男女関係にみられる実利的態度から情緒的態度へのうつりかわりや、核家族の周囲の共同体からの離脱もまた、どこでも起こった現象である。…合衆国でもそれほど劇的ではなかったにせよ——新世界は『最初から近代社会として誕生した』ものである——同じ傾向が多少は認められるだろう。感情の高揚や共同体と家族の絆の切断は、たとえ時代的なずれや地方による差異があるとしても、ヨーロッパ社会では普遍的な現象であったといえよう」14-5頁

「ロマンティック・ラヴとは、男女関係において自分から進んで何かをしようという自発性と相手の気持になるという感情移入の能力と定義しよう。自発性を重要視するのは、それが、伝統的な対人関係、共同体に強要された対人関係の否定につながるからである。…
 …過去2世紀にわたって、西ヨーロッパ社会では、ロマンスが何よりもまず、男女間の心の垣根をなくし、魂の交流をつくりあげてきた。このような密度の高い心の交流がもたらした1つの結果は、厳密な性役割が薄れてきたことである。そうでなければ、心の触れ合いはありえなかっただろうし、人びとは定められた性役割の鉄の檻のなかに閉じこめられたままになっていたであろう。
 もちろん、性役割が完全になくなってしまったわけではない。性役割によって社会の安定性が保障されるという近代のシステムのもとで、子どもの社会化が徹底しておこなわれたために、性役割は完全にはなくならなかった。しかし、歴史的経緯をみると、近代初頭ヨーロッパでは、一般に厳格な性役割があったが、現代でははるかにゆるやかなものになり、男女は自らの役割をより自由に決定することができるようになった。感情移入こそが、情緒的生活にこのような柔軟さをもちこんだのである」15-6頁→

(承前)「感情移入と自発性はさまざまな人間関係を通じてみられるであろう。しかし、これら両者が男女関係においてあらわれるときロマンティック・ラヴとなる。…<前近代>では手段的な性関係が支配的であり、<近代>では愛情にもとづく性関係が重要になったと。未婚者のセックスを一般化した18世紀末の第1次性革命において、愛情にもとづく性関係はロマンティック・ラヴと結びついていた。1960年代の第2次性革命においては、それは快楽主義と結びついていた」16-7頁

フォロー

「感情とは、人生の目的の重要度を入れかえ、伝統的な目的の順位を下げ、他人との情緒的結びつきを最優先しようとする心の働きであると定義してよい。感情によって次の3つの分野において優先順位が入れかわることになる。
 (1) 配偶者の選択 感情は配偶者選択に影響をおよぼし、家族の利害や持参金の額といった伝統的な基準よりも、個人の幸福を最優先させることになる。この優先順位の転換こそがロマンティック・ラヴに他ならず…
 (2) 母子関係 …母親の目から見て、子どもの幸福がいかなる目的にもまして重要なものとなり、その結果母親は、伝統的に家族経済のために果たしてきた畑仕事や機織りの手伝いといった仕事を減らすようになる。ここでは、感情は母性愛としてあらわれてくる。
 (3) 世帯 近代化の過程において、家族は周囲の共同体に深くかかわることをやめてしまう。…家族のプライヴァシーと愛情生活が、伝統的な他人との結びつきよりも優位を占める。外界に向かって戸を閉じ、その内側で家族の成員は感情の糸で愛の巣を作りあげる。それは、フランス人か〈家族の城〉といっているものであり、われわれはそれを『家庭愛』と呼ぶ」17-8頁

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。