「各々の社会、とくに産業化以降の近代社会では、さまざまな次元での階層化が併存している。しかし一般的にいえば、さまざまな次元は必ずしも整合的ではない。つまり、特定の個人なり集団なりをとったとき、その序列上の地位は次元によってまったくちがうかもしれない。経済力上の有力者が、政治的影響力に乏しく、文化的威信を欠いていたりするかもしれない。しかし、社会システム全体の動きの中に、各種次元での階層化を整合化する働きが含まれている場合も十分ありうるだろう。その場合を、アンソニイ・ギデンスの用語を借りて、階層が『構造化(structurate)』されていると呼ぶことにしよう。構造化には、事実的構造化と評価的構造化の2種類がある。各次元での順序づけが社会システムの働きによって事実として整合化するのが、事実的整合化であり、各次元での優劣が社会的評価として定まっていて、非整合の場合には優位な次元での序列によって順位が定められるのが、評価的整合化である。…ふつう『階級』というのは、事実的構造化の強い場合をさし、『カースト制』はむしろ宗教の力に依存した評価的構造化の例であると思われる」170-1頁
「日本SSM調査とそれに基く研究論文は、さまざまの貴重な資料を提供しているが、全体としてわれわれの『階層非構造化仮説』を支持しているように思われる。とくに、自分自身を下層とも上層とも判定しかねる階層非斉合型の人々が、少なくとも50%以上存在することがクラスター分析によって示されているのは興味深い。…日本社会の中間部分を占めているこれらの厖大な人々は、従来の分析概念ではとらえきれない。彼らは、一元的な階層尺度上の中位者ではないという意味で中流階級ではないし、また今田・原論文も説明しているように、ホワイトカラーだけでなくブルーカラー、農民、自営業主が多く含まれている。それは、構成からみてほとんど『大衆』そのものである。しかし同時にそれは、かつての大衆社会論が主張したような、上位者・指導者としてのエリートに対立する下位者・追随者としての『大衆』ではない。このようなすべての意味を含めて、この厖大な層を『新中間大衆(ニュー・ミドルマス)』と呼ぶことにしたい」194頁
「新中間大衆は、かつての階級システムが『非構造化』した結果生まれてきた。ちょうどそれと同じように、先進産業諸国の政治システムも非構造化しつつあるといえるだろう。
このようなイデオロギー後退の背景の下で大きな決定要因となるのは、新中間大衆固有の特性であるが、実はその特性は、『保身性』と『批判性』という2つの相反する面をもっている。かくて新中間大衆政治の第2の特徴は、『保身性』の表面化である。…新中間大衆は、いずれも何らかの形の既得権益に関わっており、失うべき何物もないという無産者の状態にはもはやない。その意味で彼らは『亜有産者』であり、大繁栄期に成立した体制の側に立っている。彼らの願うのは、現状維持であって革命ではない。
…しかし他方、彼らの保守党支持も強くはない。伝統への愛着を媒介としたイデオロギー的忠誠心は次第に薄らいで、既得権益への関心が最大の理由となる。…新中間大衆は保守化しているのではなく保身化しているにすぎない」229-30頁
「急進主義が挫折したさらに根本的な原因は、新中間大衆そのものの中にあった。…新中間大衆を支えているのはまさしく産業化であり、しかも行政化によって補強された戦後型産業化である。彼らの享受している『豊かさ』は単に所得水準の上昇ばかりでなく、彼らの生活の安定を保障し彼らの働く産業を保護する各種の制度や措置によって支えられている。彼らの要求に反応しつつそれらの制度や措置を調整し存続させているのは実は行政であって、新中間大衆を『亜有産化』させているのは、行政的『温情主義(パターナリズム)』である。…新中間大衆は、行政を批判するものの、自ら行政を作り出している。新中間大衆は自らの中に矛盾を含んだ存在である。
この意味で、新中間大衆は、近代社会の古典的理念としして描かれてきた『市民』ではない。…新中間大衆は、行政依存的であって自立的ではなく、私生活中心的であって社会指向的ではない。クリストファー・ラッシュの表現を借りれば、そこには『新しい温情主義(ニュー・パターナリズム)』への依存と『自己愛志向(ナーシシズム)』との混在がある。新中間大衆はある意味で『市民』とは裏返しの存在ですらある」234-5頁
「『ナショナリズム復活仮説』が想定しているような能動的姿勢の登場は、さまざまの証拠と矛盾する点があまりにも多い。われわれの理解する『新中間大衆』は、私生活中心ということを含んで受身の政治的反応を示す性格をもっている。…攻撃的なナショナリズム、狂熱的な伝統主義は、彼らにとって最も縁遠いものであろうと思われる」248頁