村上泰亮(1984)『新中間大衆の時代』中央公論社

「階層化の3分類[経済的・政治的・文化的]は、産業化以降の近代社会を念頭においたものである。前近代社会では、ふつう経済的次元と政治的次元とは明確には分けられない。むしろ、社会存続のためのより根元的な機能、生産機能、軍事機能、宗教機能などの差が大きな役割を果たすことが多い。…経済的・政治的・文化的の階層化3分類は、政治と経済の分離を原則とし、文化的活動(たとえば宗教的信仰)の自由を理念とする『近代社会』に適合した分析枠組なのである」169-70頁

「各々の社会、とくに産業化以降の近代社会では、さまざまな次元での階層化が併存している。しかし一般的にいえば、さまざまな次元は必ずしも整合的ではない。つまり、特定の個人なり集団なりをとったとき、その序列上の地位は次元によってまったくちがうかもしれない。経済力上の有力者が、政治的影響力に乏しく、文化的威信を欠いていたりするかもしれない。しかし、社会システム全体の動きの中に、各種次元での階層化を整合化する働きが含まれている場合も十分ありうるだろう。その場合を、アンソニイ・ギデンスの用語を借りて、階層が『構造化(structurate)』されていると呼ぶことにしよう。構造化には、事実的構造化と評価的構造化の2種類がある。各次元での順序づけが社会システムの働きによって事実として整合化するのが、事実的整合化であり、各次元での優劣が社会的評価として定まっていて、非整合の場合には優位な次元での序列によって順位が定められるのが、評価的整合化である。…ふつう『階級』というのは、事実的構造化の強い場合をさし、『カースト制』はむしろ宗教の力に依存した評価的構造化の例であると思われる」170-1頁

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「構造化が強い場合の1つの典型が、『階級』、とくにマルクス主義的な意味での『階級』である。私なりに定義すると、

  階級とは、事実的構造化が強力に作用し、とくに各層間の不連続性が顕著で、2層ないし3層に社会が大別されている階層化状況をさす。

 『階級』は階層構造化の有力な例ではあるが、そのすべての場合をつくすものではない。すべての次元の階層化が整合的であって、しかも階層館の関係が連続的流動的であることはありうる。社会的流動性(social mobility)の高い社会が構造化の強い社会であることは可能であり、流動化と非構造化とは同じではない」171頁

「現在の先進産業社会では概して構造化のメカニズムが崩れつつあるように思われる。そこから生まれてくるのは、いわゆる『中間階級』についてはその崩壊であり、ふつういう意味での『新中間層』についてはその輪郭の溶解であり、そして…『新中間大衆(new middle mass)』の登場なのである」172頁

「経済的次元での『行政化』、政治的次元での『平等化』、文化的次元での『反ブルジョア化』は、純粋の市場経済ならば生み出したはずのダイナミックスをそれぞれの仕方でおし曲げようとする。これらの傾向はいずれも、資本家階層を中核とする上流階級の優位を危くする可能性を含んでおり、資本主義社会の階層構造には明らかに不安定性が含まれていた。…シュムペーターやダニエル・ベルも、各次元間の跛行状態に明らかに危険を読みとっている。しかしそのような不安定性は、これまで必ずしも致命的な形で顕在化していない。それはなぜだろうか。
 私は、その1つの大きな理由が、中間階級の働きにあったと思う」179-80頁

「戦後の先進産業社会に生じつつあるのは、各次元での階層化の非整合化、非構造化というところにある。より具体的にいえば、かつて全次元にわたって下流と明確に区別されていた『中流階級』が輪郭を失っている。…伝統的な意味での中流階級の輪郭は消え去りつつあって、階層的に構造化されない厖大な大衆が歴史の舞台に登場してきたようにみえる。今後の主役の役割を占めるのは、おそらくこの厖大な大衆であろう」188頁

「日本社会でいわば中間に位置している50%の人々については、階層の非構造化が生じている。別な角度からいえば、すべての次元で中位を占めるような階層は日本では存在していないのであり、階層構造化は少なくとも日本社会の中間部分で崩れているのである。…今田・原のクラスター分析について、統計技術的な批判の余地はあるだろうが、その結論が『階層非構造化』の方向を示唆していることは明らかであろう」190-1頁

「日本SSM調査とそれに基く研究論文は、さまざまの貴重な資料を提供しているが、全体としてわれわれの『階層非構造化仮説』を支持しているように思われる。とくに、自分自身を下層とも上層とも判定しかねる階層非斉合型の人々が、少なくとも50%以上存在することがクラスター分析によって示されているのは興味深い。…日本社会の中間部分を占めているこれらの厖大な人々は、従来の分析概念ではとらえきれない。彼らは、一元的な階層尺度上の中位者ではないという意味で中流階級ではないし、また今田・原論文も説明しているように、ホワイトカラーだけでなくブルーカラー、農民、自営業主が多く含まれている。それは、構成からみてほとんど『大衆』そのものである。しかし同時にそれは、かつての大衆社会論が主張したような、上位者・指導者としてのエリートに対立する下位者・追随者としての『大衆』ではない。このようなすべての意味を含めて、この厖大な層を『新中間大衆(ニュー・ミドルマス)』と呼ぶことにしたい」194頁

「かつての中流階級は、次第にホワイトカラーがその主体となるような形に変化したが、そのホワイトカラー層の拡大と共に中流階級の輪郭は徐々に溶解して、ブルーカラーや農民と混り合っていく傾向を示している。その中であらためて析出してくるのが行政的エリートである。しかし行政的エリートは、かつての中流階級に比べて範囲が狭く、世襲的権威・文化的威信などての点で後退し、一般的な正統性の点で力をもたない。…管理的役割と文化的指導力を併せもっていたかつてのような中流階級はもはや存在していない」197-8頁

「われわれのいう『新中間大衆』は、これまでいわれてきた意味での中流階級ではない。それは伝統的な意味の労働者や農民の大きな部分を含んでさらに拡大しようとしている、人口の巨大な中央部分である。その動向は、中流階級のそれからは類推できないし、労働者階級や農民のそれからも類推できない。その動向は、明らかに複数の要因を含み、それらの中に相矛盾するものもある。
 新中間大衆の登場の生み出す第1の明瞭な帰結は、階級イデオロギーに基く政治の衰退である」226-7頁

「新中間大衆は、かつての階級システムが『非構造化』した結果生まれてきた。ちょうどそれと同じように、先進産業諸国の政治システムも非構造化しつつあるといえるだろう。
 このようなイデオロギー後退の背景の下で大きな決定要因となるのは、新中間大衆固有の特性であるが、実はその特性は、『保身性』と『批判性』という2つの相反する面をもっている。かくて新中間大衆政治の第2の特徴は、『保身性』の表面化である。…新中間大衆は、いずれも何らかの形の既得権益に関わっており、失うべき何物もないという無産者の状態にはもはやない。その意味で彼らは『亜有産者』であり、大繁栄期に成立した体制の側に立っている。彼らの願うのは、現状維持であって革命ではない。
…しかし他方、彼らの保守党支持も強くはない。伝統への愛着を媒介としたイデオロギー的忠誠心は次第に薄らいで、既得権益への関心が最大の理由となる。…新中間大衆は保守化しているのではなく保身化しているにすぎない」229-30頁

「『批判性』が、新中間大衆の政治行動の第3の特徴を構成し、かつての中流階級との大きなちがいを生み出している。中流階級は体制の管理者階級であり、とくに産業社会を支える『手段的』価値観の自覚的な担い手であった。しかし現在の新中間大衆は、従業上の立場からいえば必ずしも管理者ではない。さらに価値観の点でいえば…『手段的価値』から…『即時的価値』に傾きつつあって、少なくとも産業社会を支える新しい文化的リーダーとなることはありそうにもない。新中間大衆は、産業社会の受動的な受益者ではあっても、能動的な推進者ではない。
 新中間大衆は、『豊かさ』を享受する一方で、それを達成した現在の産業社会、さらにそれを支えた近代科学に対して懐疑の気持ちを抱き始めている。社会のさまざまな面で進行する組織の複雑化に対して不満をもち、組織の上層で管理にあたる行政エリートに対する反感を抱く傾向もみえる。要するに、産業社会の構造は明らかに即時的価値の要求にはそぐわないのである。行政エリートはまさしく『手段的価値』を代表する存在であり、このような潜在的不満が向けられるべき対象である。…新中間大衆のもつ批判的性格は…社会主義の対資本主義批判よりもさらに根本的な問題にかかわっており、産業化を支えてきた手段的合理性そのものに向けられている」232頁

「急進主義が挫折したさらに根本的な原因は、新中間大衆そのものの中にあった。…新中間大衆を支えているのはまさしく産業化であり、しかも行政化によって補強された戦後型産業化である。彼らの享受している『豊かさ』は単に所得水準の上昇ばかりでなく、彼らの生活の安定を保障し彼らの働く産業を保護する各種の制度や措置によって支えられている。彼らの要求に反応しつつそれらの制度や措置を調整し存続させているのは実は行政であって、新中間大衆を『亜有産化』させているのは、行政的『温情主義(パターナリズム)』である。…新中間大衆は、行政を批判するものの、自ら行政を作り出している。新中間大衆は自らの中に矛盾を含んだ存在である。
 この意味で、新中間大衆は、近代社会の古典的理念としして描かれてきた『市民』ではない。…新中間大衆は、行政依存的であって自立的ではなく、私生活中心的であって社会指向的ではない。クリストファー・ラッシュの表現を借りれば、そこには『新しい温情主義(ニュー・パターナリズム)』への依存と『自己愛志向(ナーシシズム)』との混在がある。新中間大衆はある意味で『市民』とは裏返しの存在ですらある」234-5頁

「『ナショナリズム復活仮説』が想定しているような能動的姿勢の登場は、さまざまの証拠と矛盾する点があまりにも多い。われわれの理解する『新中間大衆』は、私生活中心ということを含んで受身の政治的反応を示す性格をもっている。…攻撃的なナショナリズム、狂熱的な伝統主義は、彼らにとって最も縁遠いものであろうと思われる」248頁

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