“傷つけてしまうかもしれない”ってのと、“差別してしまうかもしれない”ってことが自分の中では別にあって(地続きではある)。不用意に傷つけることはあるだろうし、それを恐れることもまたあるだろう。
けど、差別してしまうかもしれないを、傷つけてしまうかもしれないと言うのはどうなのだろうかと。
人は相手を傷つけもするし幸せにもするし、“感情”の話ではなくて、個人の話でもなく、もっとデカい社会システムの話なのに、個人的な話、特に感情面の話にし過ぎている気もする。(個人の話も大事だし、感情は大事なんだけど。)
まだまとまってないし言語化できない。