海外のスポーツ観てたら当たり前の、「選手のサポートはお金を払ってプロがする」ってことが日本では当たり前じゃないのか。
食事の管理、体づくり、精神的なサポート、キャリア面での助言なんかは全部、1人の選手もしくはチームに何人もの人が関わってやっていくこと。
そして選手のパートナーは遠征についていったりもするけど、試合見るだけ。その後、選手は取材やらチームの会議やらで忙しいからパートナーとはほとんど会わずに帰ったりする。
パートナー(特に婚姻関係にある人)が食事の管理をしてるのかとか、一緒にそっち(チームの拠点地)で暮らすのかとか、そんなのを一流のプロ選手に質問している海外の記者なんているのか。
NetflixでOne Day観て号泣してるよ
若い人(自分と同年代)と話してると、なんとなく希望というか共感というか、同じ地獄に生きてる感じある。“日本終わってる”から自分たちの生活が終わってても仕方ないし、そこを生き延びるんだからそりゃしんどいよねっていう。
SNSでよく見る“今の若者”像、自分も周りも当てはまるような人がいなくてどこにいる若者の話をしているのか
ドラマ『不適切にもほどがある』、映画『怪物』への、フェミニストやクィアからの批判は理解できるし正しい批判もあるんだけど、過剰な批判もあって、でもそれを批判すると“あっち側”認定される。
『怪物』への評価は映画の内容を完全に無視した“クィア批評家のご希望に沿わない映画”としての批評だった。でも海外では『怪物(Monster)』は評価されてる。
『怪物』は「クィア向けではない」「クィアの方を向いていない」と批判されたが、それは批判ですらもなく個人の感想に過ぎない。
『怪物』には、クィアはそのままで生きていい、ウチらだけでコミニュティを築き幸せを獲得していい、そして幸せに生きられないのであればそれはシスヘテロ(マジョリティ)の責任でありマジョリティも本当は幸せではないとハッキリ言っている。今の変われない・変わらない日本を批判し、普通(とされている)に生きられない人たち(クィア)を肯定する映画だと思う。*個人の感想
Twitterにながれてくんの、ほんま何言ってんの?って思うツイートが増えてる。
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