誰かの(オンライン上での)発言によって傷ついたという感覚が分からない。傷ついた、傷つけられた、傷つけてしまうかもしれない、傷つけたなど、よく見かけるんだけど、分からない。
誰かの気持ちを否定したいわけではない。(この投稿を見かけた人で傷つく人はいるかもしれないが。)傷ついたこと悲しんだことそういう気持ちになることは何もおかしくはない。
だけど、自分が自分の気持ちにも他人の気持ちにも疎いのだろうか、視野が狭いし何も考えられない人間なのだろうか、と考えてしまう。他人の感情までも責任を負わないといけないのだろうか。
傷つける意図があるなら論外だが、人は完璧ではない。
多分、自分は人は完璧ではないし“傷つけられるし傷つける”そいう可能性をもって人と接するからだろうか。
“傷つけてしまうかもしれない”ってのと、“差別してしまうかもしれない”ってことが自分の中では別にあって(地続きではある)。不用意に傷つけることはあるだろうし、それを恐れることもまたあるだろう。
けど、差別してしまうかもしれないを、傷つけてしまうかもしれないと言うのはどうなのだろうかと。
人は相手を傷つけもするし幸せにもするし、“感情”の話ではなくて、個人の話でもなく、もっとデカい社会システムの話なのに、個人的な話、特に感情面の話にし過ぎている気もする。(個人の話も大事だし、感情は大事なんだけど。)
まだまとまってないし言語化できない。