セッション(字幕版)感想文2
上手くなりたい、成功したい、練習しなくてはという気持ちで、どんどん色々なものをそぎ落としていく過程で主人公の荒んでいく顔や言動。苦しみもがいてずっと何かと戦っている、ライバルやフレッチャーが敵ではなくすべてがもう敵、味方はいないといった感じ。辞めさせられたときやっと終わった、解放されたというほっとした面もあったのではないだろうか。
あなたは間違っていると言い、どこが間違っているのか相手に考えさせるふりをして実際は答えがない、要求を提示せずになぜ要求ができていないのか無能と責める等のパワハラはうつのリスクが高いと聞いたことがある。のちに指導された生徒が鬱病を発症し、卒業後に演奏者として栄光を手にした後も、自殺したと聞かされるシーンがある。皆には「事故で亡くなった」と手書きで宛名の書かれた演奏のCDを聴かせ、フレッチャーは涙ぐむ。偉大な音楽家になって夭折するとアンドリューも言っていたけれど、まさしくその人生を歩んだ元生徒だった。この涙は本当の悲しみ涙なのか、「音楽家」としての才能としてしか見ていなかったのか。もっともっと誰よりも上手く、ということを追求して化物みたいになっていくのかもしれないと思った。指導者のフレッチャーも含めて。
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セッション(字幕版)感想文3
フレッチャーこそが敵なのだと確信したのは知らされていない、渡されていない譜面の曲のあとだと思った。フレッチャーに嵌められ絶望させられたあと、何もかも吹っ切れて「勝手にやる!」といった感じで主導権をアンドリューが握り、曲が始まったときは爽快感があった。たぶんここまではフレッチャーに教えを受けた情や話せばわかるのではないか、権威があるといったまだ生徒の気持ちがあったけれど、逆に食らいつくしてやる、使いつぶしてやるという反逆さに切り替わったのは今までの鬱屈感からとても気持ちがよかった。フレッチャーもアンドリューのドラムに引き込まれていくのは圧巻だった。ラストシーンのカットはフレッチャーの口元は映らなかったが、口角が上がったような頬の筋肉の動きが映っていた。フレッチャーをドラムで打ち負かしたように思えた。
ラストシーンが音楽も含めて本当に素晴らしかったので、それまでの過程のしんどさは浄化された。これがカタルシスというのかな。
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