野矢茂樹『言語哲学がはじまる』(岩波書店、2023)、読了。
フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインの思考を通して「言語とは何か」という根源的な問を巡っていく。
たとえば「ミケは猫だ」とは、どういう意味なのか。
「新たな意味をもった文を無限に作ることができ、容易に理解することができるのはなぜか」
ジョン・ロックの説く「一般概念説」、言葉の意味を心の中の何かに求める考え方はコミュニケーションを不可能にする。
フレーゲ的枠組では、「文脈原理」と「合成原理」が提唱され、「固有名」、「述語」、文に対しては「指示対象」と「意義」という二つの側面を認める。
ラッセルは「意義」を批判し、「要素主義」を採る。「固有名」は「個体」を指示し、「述語」は「性質」や「関係」を指示する。その指示対象である「個体」「性質」「関係」は世界に存在する。主体はそれらの「個体」「性質」「関係」といった項を判断において関係づけ、「命題」を構成。構成された「命題」が、文の指示対象であり、文の意味。
ウィトゲンシュタインは「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」とラッセルの要素主義を批判。
内容はなかなかハードだが、文体は軽妙だった。描かれている3者の思考は、整理して要約ノートが作れるといいなと思った。
#読書
和泉悠『悪い言語哲学入門』(筑摩書房、2022)読了。
日常に溢れる「悪口」や「悪い言葉」に焦点を当て、それらの言葉が持つ意味や機能を、哲学的な視点から深く掘り下げる。
意味の外在主義においては、ことばの意味――どの語句が何を指示しているか――は公共的で客観的な事実であり、個人がコントロールできる範囲を越えている。よって「差別の意図はなかった」は謝罪になっていない。
「言語使用の第一義的役目は、心のメッセージを相手に伝えることだ」と考えるのは神話的。
権力の序列関係などが発言の評価に決定的な影響を与えるため、広い文脈・背景をしっかり考慮に入れるべき。
著者は「ヘイトスピーチ」に対して、自主的に特定の語彙の使用をやめる、規則として特定の表現を制限するといった制約を、十分に正当化できる場合もあるという。
ユーモアをたっぷり混じえた文体ながら、「意味論」などにも接することのできる本で、学びも多かった。「意味論」はもう少し勉強してみたい。
ウェンディ・ブラウン著/河野真太郎訳『新自由主義の廃墟で 真実の終わりと民主主義の未来』、読了。
現代社会で台頭する排外主義や権威主義、フェイクニュースといった問題の根源が、新自由主義にあると主張。
ハイエクなどの初期新自由主義者の思想を分析し、彼らの考え方がどのように現在の政治状況に影響を与えているか、どう変容してしまったかを考察する。
新自由主義が、民主主義の根幹をなす「平等」や「社会的なもの」といった概念をどのように侵食しているかを論じる。
その下では、客観的な事実よりも、個人の感情や意見が重視される傾向があり、結果として「真実」が相対化され、フェイクニュースが蔓延する状況を生み出していると指摘。
さらに、排外主義や権威主義といった反民主主義的な政治勢力の台頭を後押ししていることを論じる。
新自由主義と伝統的道徳がセットなのは知っていたが、ハイエクのころからこんなにもガッツリ組み合わさっているとは知らなかった。ハイエクの「夢」は「国家による規制から自由という原則を通じて、かつては社会と民主主義が存在した場所に市場と道徳をすえつけること」……。
「自由」とは……と考えさせられる本でした。
#読書
俳人・岡田一実。俳句とか考えごととか。美味しかった話とか、読んだ本の記録とか、香水(主に量り売り)とか、旅のこととかいろいろ揺らぎつつ。幻聴があり、人生はだいたい徐行。リブ返しはちょっと苦手。体調によっては返せません。
HAIKU,for its own sake. she/they
句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024)。単著に『篠原梵の百句』(2024)。