「自己責任論」の俗流化(表面的な一律適用)が難しいのは、「責任を取る」ことを仕事としている人もいて、その代わり結構な権力を握っているということを透明化してしまうのでは……ということ。例えば、「政治家」。「地位と名誉と報酬などはキープで、『責任』は免除してね!」と言ってもダメですよね。
「100%『構造』のみ!」ではなく、濃度があり、立体的な揺らぎがある。引き受けることが期待値に組み入れられて権力を任せられている役職もある。「悪意」を漲らせた差別表現もある。
「構造」は考えるべきだけれど、立体的なスペクトラムがあるのでは……。
「官僚」もそうだね。コントロールすることを仕事として見込まれて、名誉も報酬も十分に得ているなら、ちゃんと責任をとれよ、と(細かい統計の数値を知り得て、公正的な処理を任される仕事にありながら「大衆のみんな、どう思う?」じゃねーわ!!)
https://fedibird.com/@2d3m13/110355723143387228 [参照]