「自己責任論」の俗流化(表面的な一律適用)が難しいのは、「責任を取る」ことを仕事としている人もいて、その代わり結構な権力を握っているということを透明化してしまうのでは……ということ。例えば、「政治家」。「地位と名誉と報酬などはキープで、『責任』は免除してね!」と言ってもダメですよね。
「100%『構造』のみ!」ではなく、濃度があり、立体的な揺らぎがある。引き受けることが期待値に組み入れられて権力を任せられている役職もある。「悪意」を漲らせた差別表現もある。
「構造」は考えるべきだけれど、立体的なスペクトラムがあるのでは……。