原稿が捗らないときにTwitterに書いてから整理すると捗る現象、Twitterであるかどうかは本質ではないと思うのでFedibirdでやってみる。
多分本質は「書いて送ってしまったものは変更できないことで書き直すことにエネルギーを取られず、新しく書くことだけに集中できること」

ここまで書いた

Q: KJ法の表札はいつでも変更して良いというが、いったいどのようなタイミングで変更するのか?

A: この質問は「気持ち」で説明してほしい人と「論理」で説明して欲しい人がいるのだと思う。

「気持ち」の方は説明が楽。「あなたがやりたいと思ったとき」にやればいい。あなたが楽しく作業をしていて「ここはイマイチだなー」と思ったときに、それを「自分がよいと思うものに変える」のでよい。そうするとあなたは楽しく作業を続けることができる。「楽しさを維持することが大事」

「論理」で説明して欲しい人は、上記の説明を「ふんわりしてるな」と感じるだろう。

キーワードはいくつか浮かんでいる、メタ認知、プロセス生産性、…

知的生産を支援する手法なのだから、一番大事なのは「具体的に何をどうするか」の枝葉末節ではなく「それは知的生産を支援するための方法である」というところ

つまり「知的生産性が高い状態を作り出すこと」が最重要の目的である

知的生産性は、投入コストあたりの最終成果物の価値だが、これが明らかになるまでには大きな時間遅れがあるから判断材料に使うことができない

そこでプロセスの生産性に注目する。話をアイデアに限定しよう。アイデアは複製できるリソースなので、すでにあるアイデアと同じものを生み出しても、価値が低い。

あなたが熱意を持てないアイデアも価値が低い。なぜならアイデアは、生まれた後でたくさんの労力を注ぎ込んで育て上げ磨き上げて初めて価値を発揮するようになる。そのアイデアの最初の関係者であるあなた自身が労力を注ぎ込みたい気持ちにならないのであれば、他の人がその気持ちになる確率も低く、結果としてそのアイデアが価値を生む確率も低い。

この原理を感性的に表現する人は「気づき」「ワクワク」「楽しい!」と表現するわけだ。
この文章の想定読者は感性的表現のリテラシーが低くて論理的表現のリテラシーが高いのだろう。

この「気づき」「ワクワク」「楽しい」や、もっとカッコをつけると「ゾーン」「フロー状態」「主客合一」などの言葉で指し示されている、ある「良い状態」がある。この「良い条件」を生み出し継続することが重要。

この「良い状態」は、将来的には例えば脳波やfMRIや光トポグラフィーのデータから客観的に定量的数値にできるかもしれない。

しかし現在はまだそれが手軽に入手可能ではないので、なしでやるしかない。これは、現代の我々は手軽にPCやスマホが入手できるのでそれを使った知的生産ができるが、50年前の人はそうではなかったから紙とペンを使うしかなかったなと同じだ(この文章は歩きながらスマホで書いている)

幸い、この「良い状態」は高度な計測機器を用いなくても、ホモサピエンスはこの状態を認知する能力を持っているようだ。感覚はまずは非言語的である。ワインの複雑な味と香りを味わうことができても、それを言葉で表現することができるとは限らないのと同じ。

使うことによって、習熟し、よりよく使えるようになる。非言語的な感性を軽視して使わない人は、それを判断に使うことが苦手になる。ワインに対して「味や香りなんてどうでもいい、安くてアルコールが入ってればいい」という人がソムリエになることはない。

いつ表札を変更するのか。
自転車のたとえ。自転車を漕いでいて脚に抵抗を感じたり、嫌なきしみ音が聞こえたりしたら、「調子が悪いな」と感じる。

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