@zpitschi
その問題については少し考えたり調べたことがあるのですが、どうも、どちらかと言うと、関西で、その傾向が強いようです。だから鶴瓶の番組でも。
また、私は自分の子供を連れているときでさえ、「お母さんは~」と話しかけられて、その主語がだれのことを指しているのかわからなくて戸惑ったことがあります。
主語が誰なのか分からない…まさにそんな感じですよね。「お母さんって呼ぶな、キモいな。あたしゃアンタを産んだ覚えはない!」っていう感じ。笑
関西の方が多いというのも、分かるような気がする。
@zpitschi
関西弁について調べている関西出身の先生がいて、関西の人の方が、「お母さん」と呼ばれることにも抵抗がないようです。
若い娘なら「お嬢さん」、少し年配なら「奥さん」という呼びかけもありますけど、欧米語と同じで、女性を未婚既婚で分けることになります。男性については、何でしょう?
@zpitschi
かなり高齢の女性に対しても、「おばあさん」と呼びかけるのは憚られるので、「お母さん」と呼びかけているように思います。
「おばあさん」もだれかの「お母さん」である確率が高いでしょうし。特に鶴瓶の番組は、『家族に乾杯』ですからね。「家族」であるからには、その成員は、ある年齢以上の女性なら「母」、男性なら「父」であることを期待されるので、女は「お母さん」、男は「お父さん」に収まるわけです。
一定年齢以上の、成人した市井の何でもない普通の生活者に対して「お父さん」「お母さん」と呼びかけるのは、ある種の褒め言葉というか、相手へのリスペクトを込めた称号みたいなニュアンスがあるのかもしれないですね。
特別な役職についているわけでも、大先生でもなくても、きっと誰でも皆んな「お父さん」や「お母さん」として頑張ってますよね?みたいな…。
@zpitschi
なるほど、そういう好意的な解釈もあり得ますね。
ただ、何らかの理由で「父」にも「母」にもなれなかった/ならなかった人もいるわけですが、昔はそういう人はあるまじき人だったんでしょうね。子孫を残さないのは親不孝だったわけですから。
例えば鶴瓶がその言葉を使うとき(または私に呼びかけた警官も)、そこには悪意はなくて、むしろ親しみとリスペクトのこもった言葉なんだろうとは思うんですよね。ただ、現代的な視点で見ると、あまりにもデリカシーに欠けている訳だけど。笑
でも、もちろん、だから気にせずに言って良いっていう単純なことを言っているわけではないけれど。
やはり「デリカシー」の問題はあるので。笑
いくら理屈で「そんなことは恥ずかしがる方が間違っている」とか言ったって、人の心は、そんなに簡単に理屈で割り切れるものではないので。
あと、今、これ書きながら思ったんですけど、私が警官に「お母さん、お母さん」と言われるのが不快だったのは、「自分に子どもがいない問題」もあったかも知れませんが、それ以上に、「馴れ馴れしいんだよ💢」みたいな「気持ち悪さ」だった気がします。
もしかすると、仰るような関東と関西の文化の違いや、都会と田舎の文化の違いなどの、カルチャーの違いに根ざすことが大きかったのかも知れないとも思う。
私はうちの店を手伝っている時に、近所の飲食店の年配の女性に「お姉さん」と呼びかけられる時にも、多分かなりニュアンスの近い不快感を体験してますし。何か境界を超えて侵入して来られるような、肌をいきなり触られるような気持ち悪さです。
それは私という人間が「シゾイドパーソナリティ」的な傾向が強くて、一見愛想は良いんだけど、実は割と他人を遠ざける…自分と他者の間に距離を置こうとするタイプであることも関係しているかも知れません。