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専門家が「診察してない他人に診断名を付ける」という行為については、基本的にはもちろん許されないことなんだけど、確かTwitterで誰かに教わったことなんだけど、

トランプ政権の時にあの人が核のボタンを持っているというのはあまりにも危険だってことで(でも見てれば分かることでも専門家は倫理的な問題で口を噤んでいることに対して)、

状況によっては(明らかに公益に照らして必要と認められる時には)、情報発信がどうしても求められる場合だってあるんじゃないか…みたいな議論がアメリカで起きていたと聞いたことがある。

その後、確認はしていないから、真偽のほどは、知りませんが。

あと、カウンセラーに対する不信感ってのは、当然生まれるものです。

私もいつも持たれているし、私自身、面接を受けていて、不信感というか、治療者の能力を見限って受けるのやめたこともあるし。

だって、その時に初めて会ったばかりの赤の他人ですよ、何処の馬の骨かもわからない。

まぁ本とか書いてたり、メディアとかに出てれば、馴染んでるような錯覚は持ってしまうかもしれないけど、それと実際に会うのは別。

初対面の赤の他人になかなか親しい人にも言えないような個人的な悩みを話すのって、そりゃあリスキーだし(守秘義務はあるけど、たとえ相手との間だけのことでも、傷ついたりしますしね)。

カウンセリングってそういうとても「危険な場所」なんですよ。なんかすごい良い人に出会えて、何でも分かってもらえて、どんどん楽になっていける場所って期待している人、多いと思うけど。

しかも精神分析的なセラピーなら、アドバイスはしないし、励まさないし、笑わない(笑顔を見せない)し、保証(「大丈夫ですよ」など)はしないし、共感も示しませんからね(「それは男の人が悪いですよ!」など)。

そんなの不信感を持つのが当然だとさえ、私でも思う。で、面接的には、それで良いのであって、それを何とかしようとは思わないのだけど。

あ、それで思い出したけど、昔、大学院の時の同期の友だちが(私よりだいぶ年上の女性。小児科医だった。小児科医をやっていると虐待のケースにしばしば出会うので、臨床心理の勉強がしたいと言うことで、入学してきた人だった。同級生は社会人ばっかりだったりで、年齢は様々でした)、以前に小此木啓吾さんの面接?診察?を受けたことがあると言っていたんだけど(彼女自身、息子さんの学校での不適応か何かで悩んでいた時期があり、受診したらしかった)、

彼女が言うには、小此木啓吾さん(日本の精神分析コミュニティでは神のように崇められていた人)の印象、「スッゲー嫌なやつだった」と言うことだった。

だから、彼女は彼の治療は早々にやめちゃったみたいでしたよ。

私は小此木啓吾さんには直接会ったこともないし、講義も聞いたことないし、写真以外で顔見たことないし、声も聞いたことないし(本は何冊か読んでいる。それこそ一般向けに有名人の診断したような本があったような…。うろ覚え。『ピーターパン・シンドローム』は面白かった。あれは翻訳だっけ?あと『対象喪失』は良い本だった)、小此木さんが本当にスッゲー嫌なやつだったかどうかは知らない。

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もし、何かの講義とかで会ったことがあったとして、素敵な先生だな!って私が思ってたとしても、そのことと、もし私が患者として診察室か面接室を訪れて、直接話した時に、それでも素敵な先生!って思うか、スッゲー嫌なやつ!と思うかは、まったく別の問題だし、

もし実際に患者として会って、私が小此木啓吾さんのことを「スッゲー嫌なやつ」って思ったとしても、その友だちみたいにすぐやめちゃっていたかどうかも、当事者になってみないと、何とも言えない。

ただ、小此木啓吾さんはすごい有名人ではあるので、その話は私には面白かった…というだけの思い出です。彼女の言い方がとても愉快で面白かった。

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