お題:「対話を取り戻すこと」

原子力に関する問題では、言論の硬直化が大きな問題だ。

先の安東量子さんの指摘のように、(A)「原発反対派を論破すること」「原発デマを退治すること」に特化した言説か、(B)「原子力ムラ」をあらゆる点で非難する言説かに2極化している。対話が成立しない。

言論が硬直化しているため、民主主義の基本である「議論して社会的合意を取る」ことが非常に困難になっている。そこで「反対派など無視して勝手に推進しよう」という結論になりやすい。

この状況を改善しようという議論はなくはない。311の後に、原子力のような社会的影響が大きな分野では、科学技術の専門家だけでなく社会科学、人文学の専門家らも知恵を出し合うべきだと唱える「トランスサイエンス」への関心が高まった。だが、この取り組みが進展して成果を挙げたという話は聞こえてこない。

私も「壊れた対話を取り戻す」というタイトルで記事を書いたのだけど(『世界』2024年2月号)、残念ながら世の中を動かすには至っていない。

「対話を取り戻す」ことは、私たちが「人らしく生きること」を取り戻すことでもある(民主主義への参加は人権の不可分な一部なので)。少しでも前進するよう、あがき続けたい。

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相手が常軌を逸した嘘つきの場合、「対話の構築」はそもそも無理だと私は思う。

From: @AkioHoshi
fedibird.com/@AkioHoshi/113253 [参照]

@zpitschi たしかに、ある程度の信頼関係がなければ、対話は成立しません。

いっぽうで「ある論者が嘘つきであると指摘すること」もまた言論の一部だし、政治、あるいは司法の一部でもあるのではないでしょうか。

社会には信頼できない人間も混じっていますが、だからといってシンプルに排除することはできません(全員に人権がありますから)。この状況でどのように対話を、民主主義を成立させるのか、なんらかのやり方を考える必要があります。これは難題ですが、そこでもがき続けることが、人間らしい(人権を思い考え守ろうとする)ということなのかなと。

余談ながら、「信用できない人物(嘘つき)が混じっている集団における合意形成」を考えるシステム科学の「お題」があり、ビザンチン将軍問題という名前がついています。社会的合意について考える上でもヒントになる話かもしれません。

自分の意見として、民主主義を機能させるには、倫理学や政治哲学も、数学的なシステム科学やゲーム理論も、どちらも必要だし、おそらく心理学や、グループセラピーのような分野の知識も必要な局面があるのではないかと思っています。

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