私は清志郎の反戦ソング、反原発ソングよりも、ラブソングを岩下さんがきっとこれっぽちも理解できていないんだろうなぁと思った。
例えば、『デイ・ドリーム・ビリーバー』とか『ひとつだけ』とか、理解できてたら、暇空を崇拝できるわけがないのだから。
それらは愛することの切なさを歌った歌だから。彼らは他者を愛することなんかミリも出来ない。
特に前者は、私が思うには、ラブソングに見せかけて、母(多分、生みの親のことも、育ての親のことも、両方)への愛を歌っている。いつも夢を見させてくれていたこと、失って初めてその喪失に気がついたことを歌ってる。
そう言う歌を歌える人が、colaboに嫌がらせをしたいと思うはずがない。そんなことが楽しいなんて思うわけがない。
まぁ清志郎も若い頃の行状は決して褒められたものでもないんじゃないかとは思うけれど(詳しくは知らない)。
From: @Erscheinung47
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