正確には90年代くらいまでは日本も人権感覚がどんどん向上していったのだけれど、経済的に尻つぼみになるにつけどんどんどんどんバックラッシュが激しくなり後退してきている、というのは確かにあり。
まあ貧すれば鈍するなんですけど。

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あの頃、日本人の人権感覚がどんどん向上していたって?!私は全然そうは思わない。寧ろどんどん衰退の一途を辿って、私はどんどん絶望していった時期。

私は思春期、青年期、成人前期くらいを過ごした頃。本当に毎日が苦しかった。アッパラパーなお祭り騒ぎが善。考えたり主張したりというのはファッションとしては許されても真面目にやったら、政治的なことでもない身近な些細なことでも許されない…「空気」で思い知らさせる。

日本人がどんどん自己愛的になり、TVで持て囃されることが最大の憧れの的になっていった。

軽佻浮薄で争いを回避してヘラヘラしていることが善。トレンディドラマみたいな、東京の一等地の豪華でお洒落なギョーカイ人のマンション暮らしの生活に皆が憧れて…

唯一少しだけ人権意識の向上の香りが感じられたのは、男女雇用機会均等法に希望を感じた女性たちだったけど、それさえトレンディドラマのようなファッションに吸収されて、男女の平等やキャリアを目指した前世代の女たちの残骸を見て(東電OL、熟年離婚して懲罰的な状況に置かれた女性の苦境など)、下の世代は“ゆるふわ“や“カワイイ“や“女子力“で勝つことを目指すようになっていった。

From: @upasampada
fedibird.com/@upasampada/11248 [参照]

@upasampada

日本人の人権感覚が高かったのは70年代前半くらいがピークなんじゃないのかな。

そのあとは、経済発展と、脳みそをとろかす“お笑い“で飴しゃぶらされて、男も女も骨抜きにされていった。「お前には飴🍬やるから文句言うんじゃない」と。

組合の衰退も、デモの数の壊滅的現象も(ってか無くなった)、学校や家庭での子どもたちの大人への反抗でさえ完全に封じられていく時期に、「人権意識」が向上しているわけがない。

人権というのは、人間と人間との間の葛藤や、社会の中の闘争と密接不可分なのだから。

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