高校卒業後、生保のまま大学進学は認められなかったから世帯分離して、水商売のバイトしながら大学まで行ったの、今思うと本当に偉かったな。
元々社交的で口から生まれてきたというくらい喋りも得意だったし、いつも皆んなの輪の真ん中にいるような子だったし、容姿も良かったから、案外、水商売も天職というか、大勢のお客さん率いて愉快にやってたけど(詳細書きたいけど、友だちも私も身バレしてしまうのでガマン)。
中学の時はよく皆んなでその子のアパート(押し入れなしの四畳半。もちろんお風呂はなくて、トイレも共同)に集まって一緒に勉強をした。皆んなが集まるとギューギューなので、お母さんは私たちが勉強している間、アパートの共同廊下(板敷き。アパートの入り口に下駄箱があるタイプの木賃アパート。若い人は分からないかな)に正座して待ってた。笑
彼女がお腹にいる時、お母さん、貧乏で産婦人科行けなくて、いよいよ産気づいてから、近所の産婦人科に行ったら、その貧しそうな風体を見て病院が入れてくれなくて、押し問答しているうちにお母さん、破水しちゃったんだと、彼女はその産婦人科の前を通る度に、「ここだよ。お母さんが貧乏だと思って入れてくれなかったんだよ」と、私に恨みを語っていた。
お母さんも、身体は弱いけど、メチャクチャ明るい人だった。
あ、私が中学生の頃というのは70年代ですから、このグラフに入ってないけど、この手前なんて「推して知るべし」だと思ったので…。