昔、中学の親友(と言って良いと思う)が、母ひとり子ひとりの母子家庭で、お母さんが心臓が悪くて働けなくて、生保取ってたんだけど、これ見るとあの当時、生保取るの、すごく大変だったろうなぁと改めて思う。だからお母さん立正佼成会に入っていたのかなぁ。

(memeさんのツイート↓)

ひどすぎる。俺のばあちゃんがもう何十年も前の話として「民生委員で生活保護申請付き添ってるけれど、母子家庭の母親が一番舐められる。ヤクザ者みたいな人の申請は通る」と話してたけど、その時代に戻ってんのか。なんなんだ。

twitter.com/mumenden/status/17

(引用されている舞田敏彦さんのツイート↓)
※グラフあり

e-stat.go.jp/stat-search/files (結果概要)

これも何なんだろうねえ。

京都の亀岡市の市民団体が「母子世帯をターゲットにして,保護削減が図られてるんじゃないか」と,調査に乗り出したそうだが。

twitter.com/tmaita77/status/17

高校卒業後、生保のまま大学進学は認められなかったから世帯分離して、水商売のバイトしながら大学まで行ったの、今思うと本当に偉かったな。

元々社交的で口から生まれてきたというくらい喋りも得意だったし、いつも皆んなの輪の真ん中にいるような子だったし、容姿も良かったから、案外、水商売も天職というか、大勢のお客さん率いて愉快にやってたけど(詳細書きたいけど、友だちも私も身バレしてしまうのでガマン)。

中学の時はよく皆んなでその子のアパート(押し入れなしの四畳半。もちろんお風呂はなくて、トイレも共同)に集まって一緒に勉強をした。皆んなが集まるとギューギューなので、お母さんは私たちが勉強している間、アパートの共同廊下(板敷き。アパートの入り口に下駄箱があるタイプの木賃アパート。若い人は分からないかな)に正座して待ってた。笑

彼女がお腹にいる時、お母さん、貧乏で産婦人科行けなくて、いよいよ産気づいてから、近所の産婦人科に行ったら、その貧しそうな風体を見て病院が入れてくれなくて、押し問答しているうちにお母さん、破水しちゃったんだと、彼女はその産婦人科の前を通る度に、「ここだよ。お母さんが貧乏だと思って入れてくれなかったんだよ」と、私に恨みを語っていた。

お母さんも、身体は弱いけど、メチャクチャ明るい人だった。

あ、私が中学生の頃というのは70年代ですから、このグラフに入ってないけど、この手前なんて「推して知るべし」だと思ったので…。

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お母さんはそのあとも一病息災でずっと長生きしていた。コロナで暫く会ってないけど、コロナ前、今から数年前にその友だちに会った時は、お母さん変わらず元気だって言っていた。彼女も40過くらいで電撃結婚して(元々恋多き女ではあったんだけど)、そこから駆け込みでナント三児の母になった。ダンナさんは彼女にメロメロで(数年前に会った時も相変わらずメロメロだった)、幸せそうでした。

人生、長く生きてみないと何があるか分かりませんね。

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