「民度」が悪いなら、「国民のレベル」でも「国民の主権者としての自覚」でも良いですよ。言葉は何でもいい。
私が言いたいのは、この国がこんなことになっているのは、国民のせいだということです。
>教育の問題≒政府方針の問題です。
>マジョリティの態度を決めるのは政府方針の評価軸≒教育方針の設定内容も一つの要素です。
問題の本質をそのように考えるスタンスには、私は絶対に反対です。
変えていく力は私たちにある。私たちにしかない。
あなたの考えでは、は私たちの主権者としての主体性はどこにあるんでしょうか。「国民主権」をあなたはどう考えているのか。
国民のせいにする政府と、政府のせいにする国民と、これではお似合いのカップルだ。
私は思うんですが、これは良くも悪しくも国民に染み込んだパターナリズムの結果ではないでしょうか。
誰か偉い人が良いように取り計らってくれるのが民主主義の政治ではない。
私はDVが横行していながら互いに相手のせいにして、きちんと向き合おうとしないカップルのような、バウンダリーのない、相互依存しあっているカップルを彷彿とします。