私が小学生の頃だ。「(共産党が賛同していれば)うちの母親もここにいただろうか?」と思わず目が探している。

(Dai Yoshidaさんのツイート↓)

"1972 年 6 月 11 日、日本の東京で女性たちが議会を通過した優生保護法改悪案に抗議して行進した。優生保護法の下で、何千人もの人々(主に女性と少女、そしてその多くが障害者)が強制的に不妊手術を受けました"

twitter.com/dztp/status/166786

(引用されているWorking Class Historyさんのツイート↓)

11 Jun 1972 women in Tokyo, Japan, marched in protest against a eugenics amendment bill going through parliament. Thousands of people, mostly women and girls, and many of them disabled, were forcibly sterilised under the programme

twitter.com/wrkclasshistory/st

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(Dai Yoshidaさんのツイート スレッド続き)

改悪は3点
1.中絶を認める条文「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」から「経済的理由」を削除
2.胎児が重度の精神〜身体の障害の原因を有するおそれがある場合も中絶を認める「胎児条項」導入
3.初回分娩を適正年齢で行わせる指導を、優生保護相談所の業務に加える

1は、人口を再び増やすための中絶規制、2と3は、生まれる子の「質」を高めようとするもの。目的は、将来の労働力確保。公害被害により生まれた障害児への福祉コスト削減。

dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/j

"国は人口政策の必要から、ときに中絶への処罰をもって産むように仕向け、また、処罰を緩めて産まないように仕向ける〜産むことも産まないことも子育ても子の健康も、女が負うべき責任と考えられ、避妊について男性の認識の低さが問われることもなく、中絶は女性の身勝手と非難されていた。"

"こうした理不尽への拒否を叫んだのだ。生殖に対する国の支配を止めること、安全な避妊、避妊が及ばなかったときに中絶が安全で合法であることを求めた。また、女性が妻・母の役割においてだけ価値付けられることを批判し、そこからの解放が性差別社会を変えると考えていた"

(Dai Yoshidaさんのツイート スレッド続き)

「障害者は生きるに値しないのか」という障害者からの問いかけが上がったが、
女性たちがこれを受けとめて、優生政策への認識を深めた。運動の過程で、胎児条項への批判が大きくなり、スローガンにも「中絶禁止法」の表現は使われなくなり「産める社会を産みたい社会を!」が現れる。

1974年6月、改悪案は廃案に。女性の運動はその後も、優生思想を女性への差別に関わる問題として考え続け、80年代には「DPI女性障害者ネットワーク」が発足。障害をもつ女性の立場から優生保護法の廃止を求めて、障害をもたない女性の運動と交流。

"1994年にカイロで開かれた「国際人口・開発会議」のNGOフォーラムに、障害女性の安積遊歩さんが、障害をもたない女性たちと共に参加。国際社会に向けて優生保護法を告発した。これもきっかけの一つになって96年、優生保護法は優生条項を削除して母体保護法に改正された"

今の自民議員を見てると72年の改悪点1を蒸し返してきそうな気がして怖い。

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