これも一般には理解されにくいことなんだけど、見た目にすごく仲が悪い夫婦(カップル)ほど、心理的な依存度は高いんですよね。
共依存で罵り合ってるような夫婦は典型だけど。経済力や家事力で依存しあっているように見えても、それは表面上のこと。そういう夫婦は大概、どんなに万が一そういう表面的な問題が片付いても、別れない。
場合によっては子どものためとか言って別れないんだけど、何故か子どもが成人して自立しても別れない。本当はものすごく精神的に互いに依存しあっているから。罵り恨み言を言う相手を必要としている人は離婚できない。
でも子どもの立場の人は子どもの頃から長らく親の言い分を聞かされて、それを真に受けて信じているから、親が互いに本当は精神的にすごく依存しあってるなんてよもや思ってない。
本当は、そう言う夫婦ほど、自分の心理的依存を自覚できてないから、別れられない(または互いに感謝しあって生きられない)だけなんだけど。
繰り返しになるけど、依存は決して悪いことではない。むしろ安心して他者に依存できることは人生を豊かにする。
問題は依存することが悪いことで自立することが良いことだと思って、依存を否認すること。自分は依存しないで生きられると錯覚すること。
依存を負債とか負い目とか負けとか屈辱とか自分の不甲斐さとか…要は互いの存在価値の上下を競い合う尺度みたいに感じてしまうと、他人に依存することのハードルが上がってしまう。安心して気持ちよく依存できなくなる。むしろ相手よりも少しでも恩を売る側になって、(口に出してであれ、内心であれ)相手を責め立てないと安心できない。
依存した時(させてもらった時)って、本当は「その場で心から感謝してそれでチャラ」であとあとまで引きずる必要なんてないんだけど。
例えば、世話を焼いたり愛情を与えたりした時に、それで恩を売ったり、自分の負担をくどくど訴えたり、不機嫌そうにしたりするような親に育てられちゃうと、人は長じても他者に安心して依存する(甘える)ことができなくなる。
あと「感謝」は他人に強要されてするものではない。内発的に自然に出てくるものだし、出てこないのを無理に感謝しようと思っても恨みが溜まるだけ。今の政府みたいに「感謝すべき」みたいに言われたら意地でもしたくなくなるのが人情。