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人間同士の距離の問題。

ある程度の距離のある関係なら、「あの人いい人だよね」で済ませることが出来るのよ、お互いに“いい人“が出来る。思いやりも示せる。

でも、恋愛関係とか、家族とか、親子とか、より親密な関係というのは、それだけでは済まなくなる。会社や距離のある知り合いとかとは上手くやっていけてる人でも。

愛があると言うことは憎もある。コインの裏表。家族なのに前者しかないって、寧ろ「大丈夫?」と心配になる。

とにかく日本人はネガティブな感情を敵視するので扱えない。だから暴発する。

特に子どもは「親を憎んで嫌ってナンボ」の生き物。それが彼らを1人の独立した人間にするのだから。絶対に良い人だけをやりたい親はまず子どもを追い詰めると思う。

親子でなくても「人は私を嫌ったり憎んだりする権利がある」と言う認識は大事(あまりの憎しみで執着されるのは違うけど😆)。その権利は私にもある。陰口を言う権利も互いにある。面と向かって言われるより良いかも。言われても大抵の場合については、こっちもご指摘の点などについて直しようもないし。

もちろんそれと互いに必要な要求を伝えるのは別枠ですよ。それはどうせ無駄だと思っても諦めずに伝え合うことは大事。

話を元に戻すと、親密な関係はいい感情だけでは成り立たない。

こう言うことを書くと、必ず何かを「しなければならない」と言われてる的な受け取り方をされるのだけれど、そんな話は私は全くしていない。本当に日本人の「ねばならない」思考は強固なので、何もかもそう受け取られてしまうのだけど。

ただ「実際にそうだ」と言う事実を述べているに過ぎない。

誰の心にも愛もあれば憎もある。
それが人間。
という事実を言っているだけ。

あとその後者の扱いが概してみな苦手なので、その感情を「無いことにしたい」「持っていると苦しい」から無くそうとする。

こう言うとまた「それじゃダメだから直せ」と私が言っていると受け取られるが「実際そうなっているようだ」と言っているだけ。

ただ無いことにしたところでその感情が実際に自分の心から無くなる訳ではないので、それはどっかで暴発したり、「下の立場の者への“指導“という名の支配」や「自分とは異質の存在(例えば外国)への侮蔑感情や憎悪」などの形で、ガス抜きが必要になってしまうんだろうとは、私は思ってはいる。

だが、何にしても他人の心のありようそのものについて私は「こうあるべき」だと思うことはない。

自分の心でさえ人間は思うようになど変えられない。増してや他人の心など変えようがないし、勿論そんな権利は誰にもないことは嫌と言うほど分かっているので。

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