私は最初から嫌いでしたね、彼女。
とても万能的で躁的で煩い感じがして。

周囲には彼女の漫画を楽しんでいる人も多かったから、邪魔はしないように適当に合わせてたけど。

基本的に彼女は、最初との夫との間で起きていたことをちゃんと振り返ることもせず、周囲まで共犯者として美談に仕立て上げてしまったので、回復していないと思います。不幸な生い立ちだったことは気の毒だけど、それもみんな面白おかしい話として処理してしまっている。

mstdn.jp/@gomadoufu/1098104413 [参照]


はい、刺さります…。(もちろん有難いほうの意味で。😅)

結局、消費されてナンボって考えかたで面白おかしくエンタメにしてた作者と、いくら消費しても自分の身の周りは脅かされない場所から消費してた読者(含自分)との、完全に共犯ですよね。一見既存の価値観にNOを突きつけてるように見えて、本当の意味での変革や革命や救済には全くなってなかった。当時の自分の不明を思います。

だから清水晶子氏が書かれてた感じ、少し分かる気がするんですね。(まあ清水氏はそんなに読み込んだわけではないだろうし、自分と同じだなどとはとても言えませんが。😅)

仰る通り、結局彼女自身の問題は解決されてないままだし、もうこれはずっとこのままなんでしょうね。

彼女が今みたいなことになってしまう要素は実は最初から内包されてたんだってことが今なら少しは分かりますが、ほんとのほんとの正直なことをいうと、こんなにまでなってしまってもまだそれを認めたくない自分もいるんですよね。恥ずかしながら。

まあ、葛藤は一生していくものだと思ってるので、そのつもりではいるのですが。


漫画家として自分が生き残っていくためにはまだ誰もやったことのないことをするしかない、ていう計算は確実にあったと思うんですね。だからエンタメ化の手法としてはおそらく当時としては新しかったし、実際フォロワーも出てきたし、なんならひとつのジャンルになったとも言えるかも知れない。

でも、エンタメ化ってのは、それによる啓蒙の効果がゼロとは言わないけれども、それよりも、本当の問題を覆い隠す効果のほうが100倍でかくなる可能性がある。だからよっぽどバランスをとらないといけないんだな、てことが自分に分かってくるのはずいぶん後の話…

@gomadoufu

いや。娯楽作品にすること自体を否定するつもりはないんですけど、もしそれが本当に彼女の体験した真実を(面白おかしくしても良いけど)表現したものだったら、むしろ素晴らしかったと思います(散々笑わせて貰って、でも大切な問題の本質を伝えてくれる芸術作品はたくさんありますよね。良い落語で泣き笑いしたあとの心の中の何とも言えない満ち足りた感じは私は大好きです)。

しかし彼女の作品は、「否認」で出来てるんですよ。真実を躁的な笑いで跳ね飛ばすような心の動きです。そしてそれはアルコール依存症などの倒錯的な問題が起きている時に、本人もそうだけど、いわゆるイネブラー(彼女はイネイブラーですよね)も使う自分の傷つきを無いことにする方法です。

あれがウケたのはおそらく当時から日本全体が否認の文化で何とか気分を保っていたからでしょう。その延長上にある今のひろゆきだと私は思っています。どんな悲惨な話も悪行もヘラヘラ笑って痛みを忘れようとする方法です。

私がこういうことに敏感なのは、おそらく実家が半分そんなところがあったからだと思います。両親の躁的防衛に辟易していたし、母親は半分アル中みたいだったし、叔父叔母がアルコールの問題で亡くなっています。だから悲しいことに嗅覚が効くんです。


ふむふむ。なるほど。

その否認っていうのは、「依存症は否認の病」っていうときの否認の意味ですよね。

読まれたかどうか分かりませんが、『ぼくんち』を思い出しました。なぜあの状況でお姉さんはずっと笑ってるのか? 当時もちょっと引っ掛かってたんですけどそこはあまり重要視せずに流してましたね。で、一番明確に違和感を感じたのがエンディングで。え、そこ笑って終わるの? それでええの? て思ったんですが、なんかハッキリした言葉にはならず。でも、周りの人たち(っていっても数人ですが)はみんな、良い終わりかただったねー、て言ってて、自分としては???でいっぱいで。あれで何かが浄化されたの? 何も浄化されてないやん! て思って。


それでもともかく、彼女が実体験に基づいて創作してて、彼女の見た真実や事実を描いてるんだと思ってはいたんですね。初期の『毎日かあさん』も、誇張や脚色はあるにしても、基本的には本音を包み隠さず描いてるんだと。それが持ち味なのだと。

でも、娘さんのあの告白が明らかになってから、それもまた無邪気な幻想だったのかと。

もちろんほんとの真実は分かりません。でも彼女が創作を続けてるうちに、どんどん嘘をつかないといけなくなっていって、嘘が嘘を呼んで…、てなってったように思えます。そこで葛藤するわけではなく、これが現実だ、生活のためには仕方ないんだ、て開き直っちゃった。自分一人ならそれもアリかもですが、人(子ども)を巻き込んでいる以上それはダメだよな、と。

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@gomadoufu

まぁ才能はあったんでしょうね。

私は昔の方の映画の「死の棘」がとても好きなんですが、あの家庭も、子どもたちは長じて、やはりメンタルの問題などでとても苦しんでいるようですよね…そりゃそうだろうと思います。

@gomadoufu

サイバラさんに関しては、女は自分の金で寿司屋くらい行けなければ駄目だ的な事を言ってたのには「ああ、この人は本当に何もわかっていないんだな」と思いました。

さっきの、猫の「役に立たない」の話じゃないけど、稼ぐことが自立だと思っている時点で、お話にならない。そのデンでいけば、男でも女でも、なんらかの事情で仕事ができない人間は自立できないことになる。そんな馬鹿みたいな思考力しかないんじゃ話にならないと思った。そう、彼女のウリにしていることがあんまりちゃっちい前提で成り立っているので呆れた感じですかね。


なんかツリーがややこしくなっちゃいましたね…😅

いえいえこちらも自分の印象を書いてるだけなので。散らかっててすみません。😓

一方で、『晴れた日は学校を休んで』とか、上京三部作とか、『うつくしいのはら』とかで描きたかったことの中には真実も含まれてるのじゃないかと思ったり、それすらもただの美談なのかと思ったり、世間が(男が)勝手に都合よく思い描く世界に上手に迎合してるだけなのかもと思ったり。

…これからも引き続き葛藤し続けますね。(笑)

でも確かに、感性や才能はあるんでしょうけど、物事を深めて考えようとする人では全くないと思うし、やっぱりお金のことは大きいですね。昔からずっと、とにかくお金お金、てことをずっと言ってて、辟易もしてたんですが、さすがに分かっててネタとして消費してるんだろな?と思ってたんですね。でもそうじゃなくてやっぱり、心底お金の呪縛から逃れられない人なのだとは思いますね。

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