ヨツユとFF14と私 

最初から最後までプレイヤー(私)の話です。

私が初めてFF14で怒りを覚えたのがツクヨミ戦まわりだったのだけど、単に死んでしまったことに納得がいかなかったのとは少し違っていて。
もともと彼女にツユとして生きる未来はたぶんないだろうとは思ってた。ただどんな形であれ生きていてほしいとは思ってた。
ツクヨミと対面したとき、私は、彼女の生き方が最後まで誰かに踏みにじられ利用されたものになるのが許せなかったんだと思う。

けれど彼女は自分の意思で復讐を果たしきって死んだ。
ずっと誰かの大切な故郷を守るための戦いをしてきた紅蓮のリベレーターで、かけがえのない故郷というものを描いてきた紅蓮のリベレーターで、故郷にすべてを奪われた彼女はすべてを奪い尽くすために命を燃やして死んだ。
ゴウセツもヒエンもヒカセンも、彼女の帰るべき場所を作れなかった。彼女があの夜を死に場所に選んだことを、ヒカセンも私も一生抱えていかなくちゃいけないんだと思った。
ただ生きていてほしかったと思う。死んだら全部終わりだから。それが彼女の一度きりの人生を冒涜する願いであることも分かったうえで、今でも思っている。

ヨツユと出会ったから、私のFF14は帰れない人、死にたい人と話をするためのファイナルファンタジーになりました。

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ヨツユといろいろな現実のひと 

実際に育った環境で凄惨な目にあって、過去の痛みにつきまとわれて苦しみ続けてる人や、奪われたものを取り戻さなければ気が済まないと思い続けてる人はたくさんいる。
いろんな人が、かつてどこかの誰かであったゆえに受けた痛みから逃れられずに生きている。

そう思うと、ツユとして生きる選択肢がヨツユの前に現れたのは、「ほかでもない自分の人生」の手がかりだったのかなとも思う。ドマのヨツユではなく、ただのヨツユとして彼女が生きていくには、どうすればよかったんだろうとたまに思う。
積み上げた罪を償うのも、自分という人間がただひとりの自分であるということを知らないとできないと思うから。
彼女は「ドマのヨツユ」のまま死んだのかな。柿の話をしたときは「ヨツユ」だったかな。

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