ヨツユといろいろな現実のひと
実際に育った環境で凄惨な目にあって、過去の痛みにつきまとわれて苦しみ続けてる人や、奪われたものを取り戻さなければ気が済まないと思い続けてる人はたくさんいる。
いろんな人が、かつてどこかの誰かであったゆえに受けた痛みから逃れられずに生きている。
そう思うと、ツユとして生きる選択肢がヨツユの前に現れたのは、「ほかでもない自分の人生」の手がかりだったのかなとも思う。ドマのヨツユではなく、ただのヨツユとして彼女が生きていくには、どうすればよかったんだろうとたまに思う。
積み上げた罪を償うのも、自分という人間がただひとりの自分であるということを知らないとできないと思うから。
彼女は「ドマのヨツユ」のまま死んだのかな。柿の話をしたときは「ヨツユ」だったかな。