『私の身体を生きる』
そんな中で書き手の一人である柴崎友香さんが、編集者に企画趣旨を確かめ「なぜ書き手の性別を限っているのか」など疑問をぶつけた上で仕事を受けたことを書いていたのが良かった。
柴崎さんがエッセイのはじめに書いていたこと(下記引用)を、出版社自ら表明してほしかった。
「女性が自ら身体や性について自分の言葉で語ることは長らく抑圧されてきたが、一方で、身体や性について説明や理由を求められるのも、女性や性的マイノリティの側である。語らされないのも、語らされるのも、同じ構造のもとにある」
「中心にいる側の人の言葉で中心にいる側の人にわかるように語れ、「わかる」かどうかは中心にいる側の人が決めてきたということ」(p180/柴崎友香)