昨日会った友達が言うことに、
自分がパートナーの分までお弁当を作るときは、昨夜の残り物を詰め、隙間があったら冷凍食品を入れるんだけど、その日に何を食べたいかは分からないので相手の分は入れずにあけとく、ふりかけも自分の方にだけかけて、相手の分はそのままにしとく、らしい。でも、パートナーは、両方ともにおかずも全部詰めちゃうし、ふりかけもかけちゃう。
「ここがリベラルかそうじゃないかの違いなんだよね。。。」
と、思いがけないフレーズが飛び出してきたのでちょっと笑ってしまって
「ほんとだよね! 自己決定権の尊重だよね!」
って返した。
「奥さんは、俺がふりかけまでかけてないのを、すごい冷たい人だと思ってたらしいんだよね。。」
「あ〜。なるほどー。。」
ふりかけかけるかどうかってだけの話なんだけど、すごい示唆的だなあと思う。
自分以外の人の食べるものを考える/決める、食べさせるって、実はすごくパターナルなんだよなあと。
いぜん何かで読んだエピソードが忘れられないんだよね。
熟年離婚したばかりの母親がどうしているか心配して娘が電話したら、少女みたいに嬉しそうに「今日の夕ごはんは喫茶店でパフェを食べたの!」という返事。
自分の食べたいもののことだけ考えて、好きなものを好きな時に食べられる幸福感に心から共感するし、一方で、もし離婚していなかったら、(相手が)死ぬまでずっと、自分以外の誰かが食べたいものが何かって考え続けることを求められる人(女性)の人生ってさ。。と、なんだか暗澹たる気持ちにもなる。