主にオーストラリア、ハワイ、アメリカ、日本における防除の「失敗の歴史」を綴った本。対策には金がかかるので資金力のある組織の意見に流されること、天敵研究により発展した生物学、自然生物を使った防除は一聞“健全”だが必ずしも自然環境の保全に役立つとは限らないことなど、大変にのめりこんだ。
自分はやっぱりこうした発見や学問の発展の歴史が好きだなあと読んでいたら、ラストに何故この本は歴史を事細かに記してきたのかを知ることになった。著者が訴えたいことの意図をもって、各国の、そして自分の「失敗の歴史」は詳らかにされていたと知って、叙述トリックを読んだ時の興奮を覚え、今在るものを先々に残していくことへの覚悟に触れた。
伝統的生物的防除の失敗を語る著者が伝えるのは、過去に学びせめて同じ失敗を繰り返さないことにある。生物的防除も化学防除もリスクがある。一種類の方法に傾倒せず常に代替案を準備し、過去に尋ねられるように失敗の事実を隠蔽しないことが大事だと言われて、今の日本の体制で出来るのだろうかと不安に思った。失敗を大したことないと過小評価して止めどなくなってるじゃん…。
でも自分がその不安から諦めてしまえば、この大変な労作の否定にも繋がる。この本を読んで面白いと感じた、色々見方を変えねばと思ったところを保ってゆきたい。 》
あと野生下における捕食者と被食者の数の増減は連動するという「自然のバランス」は存在しないことを知りました…。俺の習った教科書で見たグラフだと思っていたら、後に自然は平衡状態を保とうとはしていないと結論づけられたらしい。新しい本読むの大事だ。
あと(2)カーソンの『沈黙の春』。カーソンの訴えは現在でも大切だが、科学的な内容は当時の知識に基づいた「正しさ」であると度々本書で言及。存在しなかった「自然のバランス」のように学問や知識はアップデートされるが、『沈黙〜』の内容はどうしても歴史に留まる。いまだ広く必読の書とされるからこそ、『招かれた〜』で言うような批評も一緒に薦めないと危ういのでは?とも思った。