実際、首都圏中高一貫校から東大ー官僚、多国籍大企業への道は、日本の中で極めて「例外的」空間。
ところが、現在は一般人からかけ離れた「例外的な」感覚の人々によって政策決定のほとんどが行われている。
一般市民は予め選択された政策を正当化するために選挙の時だけ「主権者」の気分を味わうに過ぎない。しかも判断材料と組み合わせる物語は予め、メディア+権力によって用意されており、それ以外のものは「非現実的」・「対案がない」と排除されている。
沖縄や在日マイノリティのようにそもそも情報が一般に提示されていないことも多い。
従って、東大が沖縄に移転するならいっそ教養課程+社会科学+人文学も一緒に移転すればよいのでは?
というのも、沖縄でこそ、グローバルな政治の駆け引きをリアルに「見る」ことができるし、法律が警察によってどのように「運用」されているのかも知ることができる。
また植民地化された周辺から考える、ことは人文学の再生のためにも必須とさえ言えるだろう。
考えて見れば東大はつい先日突然学費値上げを決定したばかり。他の国立大学では学費をどのように「グローバル人材」育成のために活用するか詳細な計画がなければ値上げは許可されない。
この値上げ分+国負担で財政的には十分可能なのではないか?