例えばリチャード・ドーキンスや進化生物学のS.ピンガーなどは堂々と「生命の目的は自らの遺伝子をできるだけ多く残すこと」などと断言します。こうした言説は英語圏ではリベラルにも深く浸透している。
しかし、果たしてみなさんの心に問いかけて「イエス」の答えは出るでしょうか?勿論「ノー」の方が大多数の筈。
というのも、「生きる目的」は、各自の「意識」=「心」によって決定され、また変更されるものだから。まず一般的に言えば科学は「目的」を探し出すための情報システムではありません。
ヒトの特徴は、この「生きる」目的の「意識=心」相関性とその不安定性にあるとも言える。
であるから、生きる「目的」を考えないようにする、あるいは「マジョリティ」に流れに身を任すことで「不安」を紛らわす、という選択も起こります。
かつてパスカルはヒトが最も恐れること、それは「暇」ができることと述べました。その「暇」を埋めるために、貴族は宮廷であれこれ社交を創りだしているのだと。
しかし、最後の最後では生きる目的は自分で決めるしかない。この問題に蓋をすると、「自由からの逃走」ではないが、AIに「目的」を決めてもらおう、という倒錯も起こりかねない。
デジタル・ファシズムの源は私達の「こころ」にもありそうです。
デカルトと言えば、教科書的には「近代科学」、「近代合理主義」の出発点とされます。しかし、これも事はそう単純ではありません。
まずデカルトの数学的意義について。デカルトは「幾何学」を基礎づけたのではない。ユークリッド幾何学をアラビア代数学と結合させた点が重要。従って高校数学でも「代数・幾何」という科目がある。
またデリダ=フーコー論争でも問題になったように、デカルトの「懐疑」は、懐疑論者ヒュームでさえ「確実」とした「算術」をも疑い得る、とする程徹底したもの(尚、ヒュームは幾何学は明証性に欠くとした)。
倫理についても「政治共同体」への所属は自明であったアリストテレスとあくまで「私の意識」を焦点としたデカルトは異なります。
しかし、デカルトの方法的懐疑は、不確実な情報も森の中で「この私は如何に生きるべきか」というストア主義的倫理と結びついていた。
16世紀末から17世紀初頭にオランダでリピシウスが人文主義的文献学によって新ストア主義と「政治学」を確立。17世紀のオランダはコンリング、プーフェンドルフ、トマジウス、ロック、ホッブス、スピノザなどが亡命する「知の中心」。
やはり、オランダに半ば亡命したデカルトも、この新ストア主義に大きな影響を受けることとなる。
このような「科学」を装った新自由主義の正当化あるいは今日見られる「テクノロジー教」に対して、一般市民はどのように対処すべきでしょうか?
勿論、科学やテクノロジーの専門家が当該科学命題の「妥当範囲」を常に批判的に把握し、一般市民に伝えることが重要であることは言うまでもない。しかし、科学も今や限りなく専門分化し、その全てに対応するのは難しく、ましてや専門家の真っ当な「警告」をメディアが遮断することも多い。
このような状況で科学・テクノロジー万能の国、米国で70代に起こったのが、アリストテレスの実践哲学の復興です。
アリストテレスは数学をモデルとして「絶対的な」真ではなく、不確定な政治社会に生き、不断に判断、実践しなければならない領域に対する態度を「phronesis 賢慮」と呼び、この賢慮を以て実践倫理のモデルとした。
この動きはベトナム戦争を正当化する専門の政治学者への批判とも結びついた。この「賢慮」は反省された意味での「常識」に近い。
現在の分かりやすい例は「生命の目的は多くの遺伝子を残すこと」という進化生物学の俗説に対する態度。これは個々人が「心」に問うことで、偽りであることがわかる。
その意味で、デカルトの「コギト」、専門知に対する民主的批判としても応用できる。