性的欲望に関しては、プロテスタントが妻帯、カトリックが独身とされているので、逆だと思われがちです。
しかし12世紀以降のカトリック高位聖職者は愛人(しかも複数)をもっているのが普通でした。
かのマキャヴェリが「君主論」を進呈したチェーザレ・ボルジアはロドリーゴ・ボルジア=アセクサンドル6世(トリデシャス条約で有名でしょうか)の次男、最初、枢機卿、ついで還俗して教皇軍司令官。ロドリーゴはチェーザレの母以外にも少なくとも二人の「正規」の愛人をもち、その内の一人はローマ貴族の家柄のジュリア・ファルネーゼでした。
そしてこのジュリアの兄がパウルス3世として孫を枢機卿に任命する有り様でした。こうした縁故主義を「ネポティズム」と呼びます。
同時にパウルス3世は1545年にトリエントに公会議を開き、カトリック側の綱紀粛正とは反「宗教改革」運動を開始。イエズス会を認可。
とは言え、高位聖職者の行状はそう簡単に改まらない。ナポレオン体制で、外務大臣を務めたタレーランは革命前オータンの大司教を務めていたが、その頃から浮名を流していた。
これは教会の高位聖職者が結局大貴族の子弟出身者で占められたことによる。
これに対し、下級聖職者(フーシェ、シェイエス)は弁護士とともにフランス革命を推進する中心となる。
アレクサンドル6世(正)