日本の高校教科書などでは長くカトリック=旧教、プロテスタント=新教、と記述され、また有名なヴェーバーの「プロ倫」などもあり、後者の方が「進歩的」なイメージがあるが、事はそう単純ではない。
例えば女性の地位は、カトリックよりもプロテスタント、特にカルヴァン派は低い。
これは性的欲望についてカルヴァン派がカトリックよりも「抑圧的」であり、男の視点から女性を悪魔化する傾向が生まれることに拠る。
近世における「魔女狩り」が多発した地域は、南仏、ドイツ、スイス、スウェーデン、スコットランド、全てルター派ないしカルヴァン派。カトリックはスペインを中心に「異端審問」を多用したが、「魔女狩り」は少ない。
米国でもピューリタンが建国したマサチューセッツで「セイラムの魔女」で有名な魔女狩りが1692年に発生。
またカルヴァン派が強いスイスでは女性参政権が1970年代まで認められなかった。
また国家・家父長への服従という点でも、ルター派及びカルヴァン派の方がカトリックよりも強い。
中絶がプロテスタント圏で先に合法化されたのは、単に脱宗教化が進行したため。
現在南北両アメリカでは、福音原理主義(プロテスタント)が極の大衆的基盤となっている。この辺りはなかなか複雑である。
さて、カルヴァン派・ルター派が強い地域は、歴史人類学的に見ると、宗教改革以前から三世帯同居、一子相続が多数派の地域でもある。さらに家父長権が強いローマ法継受が行われた地域でもある。尚イングランドはローマ法継受を拒否したが、スコットランドはローマ法継受が行われた。
このあたり、家父長権が先か、プロテスタントが家父長権を強めたのかは、「卵と鶏」的な難しさがある。
確実に言えることは、プロテスタントの拡大は、グーテンベルクの印刷術と連携し、識字率の上昇と軌を一にしていること。
これはプロテスタントが「聖書」だけを教義の中心とし、「読むこと」を重視したことに拠る。
ただし、この場合聖書を「読む」権限は家長に委ねられる。これがまた、プロテスタント地域で家父長権を強化することに繋がった。
また、一般の家長が聖書を読むために、新約聖書のドイツ語、英語などへの翻訳が行われる。これが近代国家語の原型となる。
逆にカトリックはラテン語聖書(ウルガタ)の翻訳を死をもって禁止。となると、聖書についても教会に来てお話や壁画で知る他はない。またカトリックのマリア崇拝や聖女伝説などをプロテスタントが全て禁止したことも女性の地位低下に繋がった。
尚、「資本主義の精神」との関係はまだ論争の決着はついていない。
性的欲望に関しては、プロテスタントが妻帯、カトリックが独身とされているので、逆だと思われがちです。
しかし12世紀以降のカトリック高位聖職者は愛人(しかも複数)をもっているのが普通でした。
かのマキャヴェリが「君主論」を進呈したチェーザレ・ボルジアはロドリーゴ・ボルジア=アセクサンドル6世(トリデシャス条約で有名でしょうか)の次男、最初、枢機卿、ついで還俗して教皇軍司令官。ロドリーゴはチェーザレの母以外にも少なくとも二人の「正規」の愛人をもち、その内の一人はローマ貴族の家柄のジュリア・ファルネーゼでした。
そしてこのジュリアの兄がパウルス3世として孫を枢機卿に任命する有り様でした。こうした縁故主義を「ネポティズム」と呼びます。
同時にパウルス3世は1545年にトリエントに公会議を開き、カトリック側の綱紀粛正とは反「宗教改革」運動を開始。イエズス会を認可。
とは言え、高位聖職者の行状はそう簡単に改まらない。ナポレオン体制で、外務大臣を務めたタレーランは革命前オータンの大司教を務めていたが、その頃から浮名を流していた。
これは教会の高位聖職者が結局大貴族の子弟出身者で占められたことによる。
これに対し、下級聖職者(フーシェ、シェイエス)は弁護士とともにフランス革命を推進する中心となる。