勿論、ヘルダーリンの狂気への道は、いささかも彼のテクストの価値を下げるものではありません。
フーコーは『狂気の歴史』や『言葉と物』でヘルダーリンをマラルメ、ニーチェの精神の系列として、自己のエクリチュールを上書きしました。
「理想」の挫折、「抵抗」する仲間達同志の「内ゲバ」によって、狂気へと追い詰められていくヘルダーリンの心は『ヒューぺーリオン』に恐ろしい程の明晰さで記されている。
後期ハイデガーは、ヘルダーリンを「ドイツ語詩の至宝」などと持ち上げ、ヘルダーリンの詩句の中に「存在の呼び声」を聞き取るグル的なはったりをかましていたが、最後まで反ユダヤ主義者であたハイデガー如きにヘルダーリンの精神の高みが理解できる筈がないのである。
これはハイデガーとニーチェの関係についても、ほぼ同じことが言える。ニーチェはハイデガーと異なり徹底した「反ナショナリスト」だった。