「零度のエクルチュール」(誤)
「零度のエクリチュール」(正)
ところで、「ベラミ」の最後の場面を「バロック的空虚さ」と表現したけれども、「バロック的」とは何か?というのはなかなかに難しい問題である。
現在では例えば、フーコーの『言葉と物』の文体を「バロック的」やら「シャトーブリアンばりの美文」と呼んだりもする。
元来はブルクハルトのバーゼル大学の後任、美術史家のヴェルフリンがルネサンスの古典主義と対比させて提唱した概念。
ルネサンスの均衡・静謐・円に対して非対称性、ダイナミズム・楕円などを特徴とする。
ただし、このような美学的特徴だけではマニエリスムとの区別がつかない。実際ヴェルフリンは両者の区別をつけていない。
やはり、反宗教改革期のカトリックや近世国家をパトロンとした「見世物芸術的な派手さ」を加えることが重要だろう。
これは聖書のエピソードを信者に「読ませる」のではなく、教会の壁画で「見させる」というカトリックの要求とも合致した。
ハプスブルク家の外交官でもあったルーベンスはその典型。
ただし仏では大作家とされるN.プーサンはバロック的というよりも古典主義の典型とされる。
これは演劇の分野でのラシーヌとコルネイユの違いと対応しているかもしれない。