それなりに権威ある筈のBBCがフランスの「反ユダヤ主義」について、「とんでも」な記事を流しているようなので、仏における移民と移民排斥の歴史を簡単に辿っておこうと思います。
仏は19世紀の産業革命において、農村から都市への人口移動は起こりません。人口全体も19世紀中、増えません。これはフランス革命の結果、修道院の土地を分配され、且つ均等相続の農民が人口調整を行ったためにと見做されます。
代わりに北部で工業地帯ではベルギー人、ポーランド人(ユダヤ系含む)、南部マルセイユでは伊イタリア系、アラブ系の移民が入る。これらのグループへの差別は19世紀以来ある(今でもベルギー人の発音をネタに笑いをとる)。
またWWII後の経済成長期に低賃金・重労働を提供したのはマグレヴ系の移民です。
従ってFNとジャン・マリー・ルペンの根拠地が南仏であることは偶然ではない。ルペンはアルジェリア戦争にも参加、捕虜の拷問にも従事。
この流れの中で「クセノフォビア」の中心が「反ユダヤ主義Anti-semitisme アクサン省略」となる。前にも書いたが「セム語系」には「アラビア語」も入る。
宗教ではなく、比較言語学と優生学と結びついた「レイシズム」が誕生。
これは独。北東含め欧州全体に広く分布します。
北東(誤)
北欧(正)
これも(誤)だと意味不明です。失礼しました。
優生学と結びついた国家による精神・認知障碍者に対する「断種政策」、米、日も含め、北欧、ドイツなど「福祉システム」を採用した、ほぼすべての地域で採用されます。
断種政策に関しては、ナチスは、この適用範囲を拡大させ、最後は「遺伝的に劣等」と見做したすべてのグループを抹殺するに至ったとも言えます。
ナチスの政権奪取後、最初にガス室に送られたのはドイツの精神障害者でした。
断種政策を採用しなかったのははフランスだけです。
これは大変興味深い問題です。
何故、フランスだけ「断種政策」が採用されなかったのか?
まずは、フランスにおいては19世紀から20世紀にかけて、革命が反復され、国家の正統性、また国家が社会や家族に介入する力が脆弱であったことが挙げられます。
現在に至るまで、フランスは「国家」と「社会」の分離傾向が見られます。
であるから、逆にフランスの警察は大変「暴力」的です。つまり国家秩序に対する「同意の調達」が弱いため、政府が市民社会の反感を物理的な「暴力」によって抑え込まないといけない。
現在のパレスティナ支持のデモに対する暴力性もその表れ。
しかし逆に革命のリスクにも晒されることになります。