今日の日経コラム「春秋」、西武池袋店の「一日スト」を取り上げてなかなかに味わい深い。
NHKなどのマスメディアは当初「街の人」から「迷惑」する、という声をセレクトして流していたが、どうも世論がそれに靡かずと見るや、方針を変更していた。
それを受けて「春秋」、「丁寧で低姿勢な語りかけは、ストと聞いて連想する往年の猛々しさと違う」と評価。
「自分たちの雇用ではなく、職場が地域で果たす役割を第一に掲げる」これにもお褒めの言葉を下している。しかし、労組が「自分達の雇用を守る」ことを求めないとしたら、一体何にための労組?
この話欧州(特に仏)の人が聞いたら卒倒するだろう。
さて、返す刀で「春秋」が批判するのは、往年の国鉄のストである。特に75年のスト権スト、あれは「ダメだ」。「JR幹部は結果的に国鉄の死期を早めたと語る」と来た。
いや、そのJ「R幹部」って誰?国鉄解体の功労者、JR東海社長の葛西敬之系列の人では?
ちなみに葛西なる人物、「そろそろ戦争でも起こってくれなければ、日本経済は立ち行かない。ただ、日本近辺ではリスクがあるので、インド辺りで」とあけすけに語っていた。
ま、要するに日経的には、このご時世、象徴的・低姿勢なストは認めるが、「分をわきまえて置け」ということだろう。
ところで、スパルタカス東大教授は西武池袋店のストは堤清二が「労組をつくらせたお陰」などと、またまた傲慢極まりない「支配者」視点で語っている。ついでに、80年代のパルコ文化を懐かしんでいるのから、「語るに落ちた」とはこのことである。
ちなみに堤清二は1927年生、不破哲三の兄、上田耕一郎と同年であり、東大在学中は、氏家斉一郎(日テレ会長)、網野善彦(1928生)などともに共産党東大細胞に所属。
その後、いわゆる「コミンフォルム」批判後の所感派・国際派の内部抗争の中で、脱党。
尚、氏家の盟友読売の渡部恒雄(1926生)も当時の共産党細胞のリーダーである。
堤清二はたしかに個人的には「リベラル」であり、企業への「環境規制」に罰則・罰金を設けるべきと主張した人でもある。
勿論実際は、そうはならず、それどころか原子力は「環境にやさしい」というプロパガンダへと向かかって行った。
スパルタカス東大教授に戻ると、自称「極左」でありながら、肝心な時には「自分も大衆に過ぎない」と言い出し、原発汚染水を批判することもせず、頻りにペドフィリアを擁護しながら、支配階級の「傲慢さ」へと立ち戻っていく。
「大学人」を批判するかと思えば東大関係者限定の大江健三郎祭りにはいそいそと出かけているのである。