朝日新聞の「デスクによる検閲」問題は、実は今に始まったことではない。

 実は1999年に加藤周一さんと個人的に話した時に、「取材に来る記者とデスクの検閲を経て活字になる記事のギャップが大きすぎる。朝日ももうダメだね」と仰っていた。

 何故、1999年という年まで記憶しているかというと、石原慎太郎が都知事選に立候補して初当選した年だからだ。

 この時、自由が丘のご自宅の近くのイタリア料理で食事をしたのだが、まだ石原は立候補表明をしておらず、ただ「タイミングを見計らって立候補表明をするだろう、この流れでは当選する可能性の方が高い」という話をしたのを覚えている。

 1990年代半ばには朝日の政治部は勿論、文化部でも「戦後民主主義」派の加藤さんを「排除」したい、という一派が社内におり、「夕陽妄語」を「難しい」、「若い読者には受けない」と頻りに圧力をかけていた。とくに戦中の橋川文三の「お前はそれでも日本人か!」発言を取り上げた際には、かなり苦情を申し込まれた。

 90年代に加藤さんがよく言っていたのは、朝日 も含めて「日本のマスコミの「国際化」というのは米政府の意向の忖度」ということ。第三世界は勿論、大陸欧州の動向もほとんど流れてこない。

 この悪弊は強まりこそすれ、改善の見通しが全く立たない。

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 日本のマスコミの大陸欧州の報道のひどさは、勿論大学生(1990年代前半)の頃から先刻承知ではあったけれども、1990年代後半から2000年代にかけて、自分が欧州に滞在する機会が増えて、その実態を直接見聞することになった。

 その頃の朝日のパリ総局長は、その後2007年に欧州総局長になった男だったが、とにかくフランスに関する「記事」はひどかった。

 日本のマスコミの特徴だが、ただでさえバカ高い給与に加えて、「海外赴任特別手当」を貰えるのでパッシーというパリの超富裕層用の地区に住んでいた、と記憶する。

 この大野という男に私は直接は会っていないが、日本のマスコミは朝日に限らず、日本人留学生にバイトで仏メディアの翻訳をさせ、それを適当に張り合わせて本社に送る。

 結果として「とんでも」記事になることが多かった。留学生の翻訳の質のせいではなく、パリ支局の「認知の歪み」によるものだっと記憶している。

 一人、朝日のパリ支局に派遣された社員と会ったことがあるが、なんと現地に来てからフランス語を勉強している。仏の歴史・社会・文化に関しては無知に等しい。

 その男が「ポピュリズム」について「怪しい」新書を出している国末憲人だったかどうかは記憶にない。呆れて名前を聞くのを忘れてしまったからだ。

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