「ゲンロン」(東浩紀)と「ZEN大学」
教員リスト、アルファベット順だから、東浩紀がトップになっているのかと思ったら、そもそも「ゲンロン」との「コラボ」がベース、ということらしい。
なんだ、これ要するに「ゲンロン」が経営難で笹川コネを使って「大学」認知してもらい、年38万の授業料を巻き上げよう、ということなのでは?
であるから、東が「建学の理念」なるものを語っても当然。
ここで東は「私の専門は人文知」と始めるが、「人文知」という「専門」はない。「人文痴」なら意味は通る。
「より大切なのは考えること」ととし、「考える行為は、この現代において意識されがちな“タイムパフォーマンス” に反しています」と続けている。
しかし、東が「知的に考えた」ことは私の記憶の限りではない。従って「知的に考える」ことを他人様に教えれるとも想像しがたいが。
ま、ただ権力欲動に身を任せる、という東の「思考」様式であれば、別に「タイム・パフォーマンス」に反しないのでは?実際、「表現の不自由展」で津田を見捨てる「判断」に「タイム・パフォーマンス」がかかったとは思えない。
しかし、このZEN大学、5千人募集とあり、定員は埋まらないだろうが、「ネトウヨ士官学校」になる可能性は高いだろう。また仕事が増えるなー。やれやれ。
日本のいわゆる「現代思想」系の人達、ことここに至っては(ドワンゴ・ゲンロン・維新の同盟)、もはや「洞ヶ峠」を決め込むわけにもいかないだろう。
これは、個人的趣味の問題ではない。日本社会全体が崩壊していくなかで、その「崩壊」と思想的にどう対決するか、という問題。
であるから、別に「踏み絵」を迫っているわけでもない。ただ、各々がポストモダニズム、あるいは東浩紀的なものとどのように関わってきたか、を「知的」に総括できるかどうか、ということだ。
前世代は浅田は言うまでもないが、少数の例外を除いて、東をプロデュースする側に概ね回った。であるからこそ、今日の悲惨な思想状況があるとも言える。
このままだと件の東大教授をはじめとして松尾山の小早川秀秋の立場に加速度的に接近することになる。