「戦間期の精神」
「世の中を敵と味方に分けて敵を叩く」By スパルタカス
欧州の戦間期、公法学者・憲法学者シュミットは「政治」の本質を(集合的な)「友」と「敵」に分けること、と定義した。
また30年代のヘーゲル『精神現象学』復興、基本自己意識B主人と奴隷の「死」を賭けた「承認」の闘争、の部分を中心に議論された。
君、バトラーを例に挙げて30年代の緊張感がない、と書いていたけれど、あれ、どうなった?
しかし、シュミットの「友敵」概念の評価、私より高かった筈だが?
であるから、「マクロンの顔を見るだけにぶん殴りたくなる」とtwitterで書けるだのだろう。
「欧州の連中の「社民」顔」というのも定番の罵倒語だったし。
「都合の悪い過去のテクストは読まずに済ます」、これまさにあなたが「戦後思想」についてここ10年以上実践しつづけていること。
中野重治もちゃんと読んでない。『甲乙丙丁』全部読んだ?
でもまず、蓮実重彦を再読して「人間の終焉」を再考する方がさきだろうなー。
あと、「スパルタカス」を名乗る以上、土井正興の研究、読んでいて当然だが、大丈夫か?
「小児病」、これブーメラン効果だろう。私の「幼児的全能感」、これ首都圏高学歴男性エリートに顕著。最初会った時にすぐわかった。
重要な訂正)
私の「幼児的全能感」(字数制限のため言葉を削りましたが、再読して、誤解が生じる可能性があると気づきました。
正しくは「私の定義する幼児的全能感」です。
「ヒト」は人生の初期の段階で、この「全能感」を断念し、「児童」へと移行する、とも言える。
ただ、この「移行」の仕方は人さまざまで、場合によっては、母の強烈な承認と、首都圏高学歴男性エリートのように「集団の同質性」が高さのために、この「全能感の断念」をスキップしてしまう人間も出てくる。
そして「ヒト」の「全能感」の典型は「他者」に対する「支配」。従って、対等を前提として「他者」と向き合えない人間、多数出てくる。
特に「知的な女性」の存在には我慢ならない。浅田、東浩紀などはこの典型。また自分が「不利」な立ち位置に配分されると感じる「マイノリティ」も必死で否認する。これ、浅田、東及び日本のライノベル、SFなど文化産業に顕著な傾向。
今一つは自分は安全地帯にいながらの「暴力」の美学的消費。これも浅田、福田和也、そして残念ながら我が旧友スパルタカスに共通する嗜癖。
東浩紀の暴力性は、もっと「がさつ」で直接的なものだが。
この連中、相手が強い(「権力」)と見るや、途端に子犬のようにおとなしくなる。この点でも東の軌跡が参考になる。
訂正と補足)「同質性」の高さ(正)
私の経験では公立の場合、地域のあらゆる階層、在日、沖縄、部落(三者とも神戸は多い)の子供が集ります。
ですから、家は「中産階級」の子供も、どうしても「ハビトゥス」が異なる「他者」と関係をつくらなければならない。
勿論、これは自我が不安定にある中学の際には、生徒内秩序をカオスに導く、強度の集団同調圧力に転じる、最悪の場合は悪質な「イジメ」が発生する、という可能性にも繋がります。
記憶では、それに懸念を持つ家は子供を塾に「通わせ」灘や甲陽に進学させていた。
私自身は親が「労働者階級を体で知れ」という子供には「よくわからない理屈」により公立へ進学。
しかし、史記や論語、プラトン、レーニン、エリュアールなどを読む中学・高校時代を送ったので私は全く「浮いていた」。ただスポーツは好きだったので、これで友人関係をつくっていた。
であるので、大学に入った時には2,3分話せば国立・私立進学校出身者はすぐ「わかった」。この頃は、彼らの「リベラル」なスタイルを好意的に見ていたのだが、大学院、博士、そして教職となると、坂道を転がるように「保守化」していってしまった。
勿論、例外の方は数多くいると思います。あくまで傾向、ということです(ただ私の知る限りではいない)。
@kmiura@toot.blue遠山啓、かこさとし、と並んで、どうも「似た家庭環境」で育った可能性がありますねー。
しかし、「うちは労働者階級だから」という「虚偽」の主張に基づいて、TVゲームは買ってもらえず、TVは子供名作劇場と大河ドラマだけ、というので小学生の時はクラスの話題に全く入ることができず、これは困った。
小2のクリスマスには「はだしのゲン」を貰ったが、これは級友との交際には使えない。(手塚治虫もダメ)。
後で気が付いたのだが、当時労働者家庭の子供はTVは観るし、ゲームも買ってもらっていたのだった。
仕方がないので、私は近所の同級生を「路上」の野球やサッカーに連れ出して「憂さ」を晴らしていたのですが(笑)。
ただ、後悔したのは地域の少年野球チームに入ってしまったこと。運営しているのは「地域」の民間右翼の「おっさん」達で、練習中は水も飲ませず、エラーをしたり、試合で負けたりすると「殴られる」という典型的な所。
毛並みが違う(坊主頭にしない)私は「おっさん」達に目をつけられ、「えらい目」に遭った。
これも親は「一度決めたこと」は「最後までやれ」といって小学校卒業まで続けさせられたが。
これは軽い「下放体験」だったと思う。この民間右翼の運営する空間と比べると学校は遥かに「楽」だった。
@kmiura なるほど。
私も漫画は、「はだしのゲン」以外は手塚治虫と白土三平でした。しかし、これではクラスの話題についていくのはなかなか難しく(笑)。特にバラエティーは全く分からなくて苦労しました。
@yoshiomiyake おー。うちもテレビは一週間に一回30分だけ。マンガははだしのゲンとカムイ伝でした。カムイ伝は100回ぐらい読んだと思います。小学校4年の時だったかな、「まことちゃん」を自分のお小遣いを貯めて買いました。でも「ガキデカ」は禁止だった。友達の家で読んだりはしていましたが。「8時だよ全員集合」に対するノスタルジーはいまだに共有できなくて残念な気分になり、子供の頃をよく思い出します。