週に一コマ、フランス語の授業を担当しており、例年使う教科書を大学生協で注文しようとしたら、「その出版社は倒産いたしました」と言われて驚愕した。
勤務先では第二外国語は必修ではなく選択になってかなり立つが、仏語に関しては受講者は今年も含め減っていなかったので猶更。
出版社全体がここ2年くらいの落ち込みが激しいが、教科書出版も同様なのだろうか?
しかし、政府は「グローバル化」と叫び続け、新規学部も「国際教養」と枕詞をつけないと認可されない一方、大学生が英語しかできない、となるとこれは・・・
例えば国連に勤務するためには修士号、及び英仏両語習得が必須の筈。
17世紀から欧米では外交言語は仏語であり、WWI以後も国際条約は英仏両語を正文書とする。
これは一部の人にしか関りがないかも。しかし、重要なのは英語メディアだけでは国際情報が大きく歪む、ということ。
勿論、アラビア語、中国語、朝鮮語もこれからは必要になるだろう。しかし、現時点ではグローバルに英語圏とは別の視点の情報の蓄積があるのは仏語。
日本の「国際派ジャーナリスト」達も基本英語が話せるだけ。少し学術的なものになると全く読んでない。
とにかく、日本のメディアはスポーツ・芸能面が国際面の3-4倍、という紙面構成を再考するべきではないか?
日本の全国紙、とにかくまず広告がやたらと多い。
勿論、日本の新聞社の経営は、基本広告費でなりたっているから、これはある意味「当然」。
しかし、この構造によって、広告主(大企業)、広告業界の構造的批判、全国紙ではまず無理。
また昔(30年前)は取材する記者と出る記事の間に「大きな差」がある、と言われていた。これは上司(デスク)が「不都合な真実」をカットするため。
しかし、現在は若手の記者で「書きたくても書けない」という人は、いたとしてもごく少数だろう。
元来、日本のマスコミは記者の組織への統合が強固すぎ。これは米国のジャーナリズムと比較しても顕著な差と従来言われてきたが、もはや組織内の「一匹狼」が生存できる余地はほとんどない。
また近年の部数の急減に対応するためとして、写真入りのスポーツ、芸能、そして芸能人インタビューがやたらと多いが、これならわざわざ高い購読料払わなくても、ネットにいくらでもある。
むしろ「カネ」を出しても読む価値のある「信用できる」記事を紙媒体ならではの、「かたち」にしなければ部数減はとまらない。
あと日経以外の全国紙、そもそも「政治・経済」の記事がない。
日経は完全に支配層の立場からストレートに政治・経済の記事を出してくるので、一応「読む」価値あるが。