追悼:水田洋さん(1919-2023)

「市民社会派」マルクス主義の最後の一人であった水田洋さんが逝去された。

水田さんは、「市民社会と社会主義」で知られる平田清明(1922生)とともに、高島善哉(1904生)ゼミ出身。三人は日本の「社会思想史」の草分けとも言える「社会思想史概論」(岩波)を1962年に共著として出版。

この「社会思想史」、海外にはない「ユニーク」なジャンル。

理由の一つは、マルクス主義を大学で本格的に研究できるのは、当時は日本だけだったこと。

西ドイツでは事実上禁止。(フランクフルト学派は奇妙な例外。一般には1968年まではマルクスの著作は入手困難。)

米ではレッド・パージでニューディール左派的な研究者も放逐された。

英でも、すでに研究職についていたホブズボームなどを除いては1960年代まで門は閉ざされる。(例えばE.P.トムソン)

水田さんが翻訳者でもあり、友人でもあったホブズボームも、長年所謂「万年講師」。オックスフォード、ケンブリッジへの道は保守派の歴史家に阻止された。

ホブズボームについてご関心のある方は、2021年の拙稿「越境する世界史家」(「世界」11,12月号)をご笑覧下さい。

英米では経済学部ではマルクス主義は現在でも扱いません。

水田洋から宮本憲一へ(思想史と社会科学)

水田さんの初期のゼミ生が旧制四高(内灘闘争に参加)から名大に進学した宮本憲一さんです。

宮本憲一さん、この後東大の「大内財政学」と並び称された京大の財政学、島恭彦の下に進みます。

宮本さん、今もご存命ですが、地方財政論を専攻するとともに、経済成長とともに進む生態系への負荷・公害問題にいち早く取り組み、都留重人とともに1963年に公害研究会を設立。日本における環境経済学のパイオニアとなりました。

と同時に1970年代末の「現代資本主義と多国籍企業」ですでに新自由主義グローバリズムを批判しています。これは驚くべき「先見の明」。

私個人としては、戦後の「経済学者」の中で最も尊敬する人です。
最近、再評価されてるみたいですけれども。

宮本さんは、水田ゼミに参加することで、「社会科学と思想・歴史とのバランス」を身に着けることができた、とのこと。(これ、ご本人を知っている友人から直接聞いた)。

さて、1965年には平田清明さんが名大に赴任。後、京大に移る。

同じく、都留重人の弟子伊東光晴、1977千葉大、1988京大。

同じく都留門下、一般には中公新書「複合不況」で著名な宮崎義一、京大です。

実は、私の父、平田・水田在籍中の名大経済学部でした。

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「誤解を避けるための補足」

今、この投稿読み直すと、最後の部分「誤解」を招く可能性があるので、補足します。

私の父は1944生ですので、当然1960年代には「学生」として名古屋大学経済学に在籍していました。

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