水田洋から宮本憲一へ(思想史と社会科学)
水田さんの初期のゼミ生が旧制四高(内灘闘争に参加)から名大に進学した宮本憲一さんです。
宮本憲一さん、この後東大の「大内財政学」と並び称された京大の財政学、島恭彦の下に進みます。
宮本さん、今もご存命ですが、地方財政論を専攻するとともに、経済成長とともに進む生態系への負荷・公害問題にいち早く取り組み、都留重人とともに1963年に公害研究会を設立。日本における環境経済学のパイオニアとなりました。
と同時に1970年代末の「現代資本主義と多国籍企業」ですでに新自由主義グローバリズムを批判しています。これは驚くべき「先見の明」。
私個人としては、戦後の「経済学者」の中で最も尊敬する人です。
最近、再評価されてるみたいですけれども。
宮本さんは、水田ゼミに参加することで、「社会科学と思想・歴史とのバランス」を身に着けることができた、とのこと。(これ、ご本人を知っている友人から直接聞いた)。
さて、1965年には平田清明さんが名大に赴任。後、京大に移る。
同じく、都留重人の弟子伊東光晴、1977千葉大、1988京大。
同じく都留門下、一般には中公新書「複合不況」で著名な宮崎義一、京大です。
実は、私の父、平田・水田在籍中の名大経済学部でした。
「誤解を避けるための補足」
今、この投稿読み直すと、最後の部分「誤解」を招く可能性があるので、補足します。
私の父は1944生ですので、当然1960年代には「学生」として名古屋大学経済学に在籍していました。