刈部直の「いかがわしさ」
刈部直は『丸山眞男 リベラリストの肖像』という入門書を書いている。
この本、全部が嘘ではないが、学問的には「問題外 out of question」 の外。叙述の上での反則技も多い。
例えば、刈部は、1950年代の丸山の「大衆社会におけるファシズム」論を「プロ市民を丸山を先取り的に批判していた」という趣旨のことを述べている。
これは120%誤り。
丸山が批判していたのは、「マッカーシズム」に大衆が動員されている状況)。
丸山は大衆社会において「原子化」された「マス」が操作される危険性を見出し、それに対し中間的な結社に能動的に参加する「市民」をそれに対置した。
そもそも「プロ市民」という言葉が「ネトウヨ」用語。
はっきり申し上げますが「東大教授」の肩書の持っている刈部直さん、本質は「枢密院」議員に憧れる「ネトウヨ」に他なりません。
ですから、苅部さんの立場からは「人民主権」の日本国憲法より「立憲主義」の明治憲法の方が「リベラル」となる。
これは長谷部さんのスタイルにも通じる。
この首都圏高学歴(刈部・成田ともに麻生ー東大)の「頭いいつもに」の(本当は)「頭悪い」、「冷笑系」の「俺すごい」仕草、困ったものです。
「苅部ー筑波大付属高校ー東大」
「東・牧原出(行政学)ー筑駒ー東大」(正)
筑波大付属高校と筑波大付属駒場とは一応別の高校です。
まあ、この辺りはブルデューの『ディスタンクシオン』の方法を日本で典型的に適用できる例でしょう。