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原爆ドーム前のスタンディングに参加してきました。
今日はガザへの侵攻・虐殺が始まってから150日でした。けっこう強めの雨が降っていて、傘に当たる音が聞こえるくらいでした。すでに小山田浩子さんの夫さんが来ていて、なんと16時から立っているとのこと。山本さんに連絡できたら、どういう形でスタンディングをやるか、相談したいとお話しされていました。広島駅で小さなグループができたら良いなあと思いました。雨がだんだん強くなる中、田浪先生がマイクを出して、150日が過ぎたことをお話しして、黙祷は好きじゃないんだけど、少しだけ目を閉じてこの150日のことを思い返してみてください、とおっしゃりました。目を閉じてみると、色んなことが頭に浮かんできました。NICUの子どもたちのこと、ここで出会った人たちのこと、自分自身の考え方や立ち位置のこと。田浪先生がどんなことを感じましたか、とお話しされたので目を開けました。そこから一人ひとり、何か話してくださいと言われました。

ぼくはNICUのニュースを見て、居ても立っても居られない気持ちになっていたとき、この場所を知ったこと、ここがあって良かったと思っていること、ここで自分は救われていることなどを話しました。明日からも立ちます、とも。そこからは久保さんが話すときは、久保さんと最初に会ったのは実は赤い涙のときだったなとか、田中さんが話すときは最初は誰もいないからプラカード出していたら田中さんが話しかけてくださったんだったなとか、最初に出会ったときのことを思い出しながら聞いていました。ずいぶん遠い昔みたいに感じていて、それがとても不思議でした。
佐藤さんが話しているときは、最初に会ったときのことは全然考えずに、この人めっちゃマイクでしゃべるのが上手だなとひたすら感心していました。スピーチを聞くのは二度目ですが、どちらもすごく印象に残る。東京に行っても時々でいいから、戻ってきて、スピーチをして欲しいな、と思うくらい、人の心を動かす、素晴らしいスピーチでした。

そうやってみなでマイクを回すうちに、どんどん人が増えていって、最後はかなり大勢の人になっていました。ぼくは雪の日を思い出しました。twitter.com/shunicirou/status/
辛い日々に、たまに訪れる、祝祭の日。今日なんて、すごく雨が降っていたのにね。
記念撮影のとき、田浪先生に「すごく人が集まりましたね」というと、「ねえ。最初は少し寂しい感じだったのに」とおっしゃっていました。
あと今日は久しぶりに「パレスチナ解放」のプラカードを作ったかたがいらっしゃったので、ZINE掲載の許可を得るというミッションもこなしました。快諾いただき、ありがとうございました。ツイッターにいるということ、あのプラカードをネットプリントできるようにしたとのことで、めっちゃ検索したんですが、見つからずです。私です、などと話しかけてくださると、ぼくとしては嬉しいです。よろしくお願いします。

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