諸々の判断がつかない幼児を性的対象にするペドフィリアを「チャイルドマレスターとは違います」みたいに擁護してしまうのはですね…と言葉を尽くしたところで後からこの手の認識を持ってしまう、というか加害者擁護にからめとられてしまう人々は絶えなくてですね。
ナントカ龍ナントカという大乗仏教の僧侶ながらテーラワーダにシンパタイズして瞑想のリトリートとかやってた人がなんか拗らせた後に”外国に散った日本帝国の兵士をデーヴァダッタを祀って弔う”みたいな大層拗らせたことを真剣に思ってた、とか告白してたと記憶するんですけど。
日本の加害者擁護しやすい文化みたいなの、こういう日本の戦後教育みたいなのの影響が大きいんじゃないかしら、とも思うんですよね。
知らんけど。
わたしはどっちの意見もわかる”いい人”なので、加害者にもそれなりに理由があるはずなんです、それに寄り添わなきゃいけないんです、みたいなのが多すぎんじゃねえかなと。
私もそうだった、というか気を抜けばそうなりがちだけれども。
被害、加害という勾配がある関係において、加害者に寄り添うということイコール被害者をネグってるわけで。
まあそりゃ加害者にも人権はあるのは当たり前だけれども、別に寄り添う必要も理解する必要もねえんじゃねえの、その労力は被害者側に寄り添うのと擁護するのに使おうか、というのが今のところの私のスタンスでしょうか。