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「ヘイト本は絶対に売らない」、小屋から始めた独立系書店オーナーのこだわり 連載「だれが本を生かすのか」第5回 書店lighthouseを営む関口竜平の矜持║JBpress
jbpress.ismedia.jp/articles/-/

"「結局、流行っているものを会社存続のために作っているだけ。粗雑な本を粗雑に売っていくことで、悪意に回収されていく仕組みを出版や書店業界が無自覚なまま作って維持してきたんです。ヘイト本を作り、売る出版社や書店は『表現の自由』『言論の自由』を主張するけれど、結局ビジネスのため、自己の利益のためですよね。『ヘイト本を置かない』と表明したのは、こうした構造を誰かがきちんと言わなければいけないのでは、と感じていたからです」"

この右傾化、利益至上主義の中でこの取り組みは本当に立派だと思うと同時に、この人が”ペドフィリアにも人権はある”とか絡んできた人かー、と思うとちょっと色々と考えてしまうところはある。

諸々の判断がつかない幼児を性的対象にするペドフィリアを「チャイルドマレスターとは違います」みたいに擁護してしまうのはですね…と言葉を尽くしたところで後からこの手の認識を持ってしまう、というか加害者擁護にからめとられてしまう人々は絶えなくてですね。

ナントカ龍ナントカという大乗仏教の僧侶ながらテーラワーダにシンパタイズして瞑想のリトリートとかやってた人がなんか拗らせた後に”外国に散った日本帝国の兵士をデーヴァダッタを祀って弔う”みたいな大層拗らせたことを真剣に思ってた、とか告白してたと記憶するんですけど。

日本の加害者擁護しやすい文化みたいなの、こういう日本の戦後教育みたいなのの影響が大きいんじゃないかしら、とも思うんですよね。
知らんけど。

わたしはどっちの意見もわかる”いい人”なので、加害者にもそれなりに理由があるはずなんです、それに寄り添わなきゃいけないんです、みたいなのが多すぎんじゃねえかなと。
私もそうだった、というか気を抜けばそうなりがちだけれども。

被害、加害という勾配がある関係において、加害者に寄り添うということイコール被害者をネグってるわけで。
まあそりゃ加害者にも人権はあるのは当たり前だけれども、別に寄り添う必要も理解する必要もねえんじゃねえの、その労力は被害者側に寄り添うのと擁護するのに使おうか、というのが今のところの私のスタンスでしょうか。

ああそうそう、小池龍之介さんだ。
もうすぐ解脱できる、みたいに思い込んでちょっと拗らせちゃった際にそういう妄想に支配されてたようですな。
正直に話してたのが偉いと思うし、客観的にあれは間違っていた、と総括できるのも偉いと思う。

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